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■本紙デスク(2013/07/13) 部下からも、専門家からも絶大な信頼を受けていた東京電力福島第一原発の吉田元所長が9日、食道ガンで死去した。東日本大震災で事故対応の陣頭指揮をとり、東電本社の指示に背き、原子炉を冷却する海水の注入を続けた。現場の判断を決行し、事故の更なる悪化を防いだ▼当時原子力安全委員会の斑目(まだらめ)委員長は「吉田氏の冷静な判断がなければ、もっと最悪の事態になっていた」と高く評価。現場の部下も「吉田所長だから、放射能の中にも入って行けた」と、吉田氏への信頼を語る。日本が地獄に落ちる寸前で、それを防いだ人物と言える▼東京電力の廣瀬社長も9日、訃報に接し「文字通り決死の覚悟で事故対応にあたっていただきました。私ども社員一同は、吉田さんの思いを胸に、吉田さんが命を賭して守った福島の復興に向けて全力で取り組んでまいります」などのコメントを発表した。しかし現場の状況は厳しさを増すばかりだ▼9日以降、原子炉建屋の海側の地下水から、それまでの濃度を遥かに超す放射能セシウムが検出されている。海水への流出が心配されているが、東電は「付近の土が混入したもの」などと言う。新潟の柏崎刈羽原発の再稼働についても、地元へ説明する前に勝手に決めた。泉田知事をはじめ、地元民が怒るのも当然である▼東電の自己本位な、上から目線の体質が、重大な局面で混乱を招いている。全てを安易に考え過ぎ、最大限懸念すべき事柄を、東電に都合の良いように持って行こうとしている。それが国民からの信頼を失っている。今後についても東電を厳しく注視する必要がある。 ■本紙デスク(2013/07/12) 「宮仕えの身ですから…」とは良く聞かれる言葉。「だから、あまり意見は言えません」「上司には逆らえません」と言う反応が、若手の市職員から聞かれる。課長職に居ながら「給料は市長から貰っていますから」と真面目に応えている場面もあった▼自分なりの考えがあるのに、上司からの指示をそのまま受け入れ「仕方ないさ、宮仕えだから」と、あっさり引っ込んでしまう職員も少なくない。経験豊かな先輩の意見に従うのは、多くの場合当然のことながら、自分なりの考えがある時は、それを具申する姿勢を持って欲しい。若くても、優れた提案をする事は出来る。それを許さない上司なら、その職の資格なしと考えるべき▼情けないではないか。自己の考えを引っ込めて、気が進まないやり方で公務に従事することは、結局のところ市民のためにならない。先輩も後輩も、一人一人の力量を結集することが、効果的な仕事を産み出す根源なのだ▼「市長から給料を貰っている」とは何たる錯覚。当然のことながら市職員の給料は市民が払っている。費用対効果が生じない、不真面目な職員に対しては、市民は給料を払う必要はない。給料は、市理事者が代行して渡しているに過ぎない▼「宮仕えだから…」と言う前に、「市民仕え」だと思うべき。勉強して、確たる信念を持ったなら、上司に意見を具申し、上司のやり方を修正させる位の気概を持て。「宮仕え」ならぬ「宮使え」こそ業務を活性化させ、市民のためになる。小利口に走っても先は期待薄。不器用でも、何が大切か見極め、貫徹する実力を涵養する事こそ必要。 ■本紙デスク(2013/07/05) パブロ・ピカソの傑作「ゲルニカ」は、スペイン・バスクの小さな町の名前。1937年、ドイツ空軍の爆撃で破壊され、多数の市民が殺傷された。史上初の都市無差別空爆とされている。衝撃を受けたピカソは一夜でそれを描き上げたという▼ゲルニカ市民は、特殊な取り決め≠ナマチを運営していた。マチの中心に「神聖な木」という特別な木があり、人々は、そこで市民生活のルールを決め、整然と生活していた。「山も、森も、谷間の牧草地も、みんなの入会地。個人のものではない」が基本的な精神。ゲルニカはバスク自治の象徴とされた▼国税庁から路線価が発表された。日本一高いのは、東京銀座中央通りの一角で、1平方メートル2152万円という。ちなみに、北海道は札幌市北5条西3丁目の商業施設前で、256万円という。その価格は主に、経済活動的な価値に依(よ)り決められるのだろう▼時間を遠くに戻せば、土地は人間より先に誕生した。最初は何もない裸の大地。そこに人が住み、経済活動が始まり、地域、国の線引きが行われ、それに依って土地の価値が変化してきた。しかしそれは人間サイドの理由であって、地球的に見れば、土地の価値に差はないと言える▼小説家の故・司馬遼太郎氏は「人々が真に祖国を愛せるようになるには、土地問題がバスクのようでなければならない。国家というのは、つきつめれば山川草木のこと。それに依存している人々の暮らしの総和である」と述べている。絵画・ゲルニカは、線引きで色々な問題が起きている、今日の世界をも表わしているようだ。 ■本紙デスク(2013/07/03) カメラを持たないで旅行をしたことがある。報道に身を置く者として、カメラなし≠決行するには少々勇気が必要だった。写真を撮るという行為は、意外に神経を使うもの。カメラがないと旅行先の風景にも、人の話にも心を集中することが出来、旅の印象が脳裏に多く残るような気がした▼テレビのニュースで、石川県で「スマホ観光」という新しい形の観光が始まったことが紹介された。行く先々の情報がスマホ(スマートフォン)に詳しく紹介される。観光客にとっては実に便利。スマホの説明を見ながら、観光地に触れる事が出来る。なるほど、今どきの観光の仕方だと感心する▼しかしニュースで紹介される映像を見て少し疑問に思う事。それは、スマホに映る映像と、その説明を見る時間が多くなり、観光地の空気感、各施設などをユッタリ楽しむことが少ないように思われる▼旅の楽しみは、現地のガイドさんの説明に耳を傾け、各種施設、場所などを視覚で楽しみ、目と耳でそれらを感じ取ること。つまり観光は、アナログの世界こそ似つかわしく思ってきた。しかし文明の利器・スマホには、デジタルの世界の良さ、便利さがあるのも確かだ▼人にはそれぞれ自分に適した遣(や)り方がある。しかしながら、カメラを持たない旅を行った時、先ずは手荷物がなく身軽だったこと、そして何かにつけてファインダーを覗(のぞ)く作業から解放され、手持無沙汰の反面、スッキリ感を覚えたのも事実だ。何より、旅の先々の土地の空気感や風景などが、五感を通して自分のものになったような気がした。 ■本紙デスク(2013/06/29) 参議院は解散がないため6年間の議員生活が保障される。衆議院の行き過ぎを防ぐ良識の府≠ニして位置づけられ、国家の先行きを長期的な視野で見つめる役割を持つ。その参議院が、本来求められる「品格」を失い、国民の期待に逆行する▼通常国会の最終日、よもやこんな失態が演じられようとは、誰が想定しただろう。東電福島第一原発事故に端を発する電気事業法改正案や、生活保護法改正案など、重要法案が軒並み廃案になった。原因は法案審議の前に安倍晋三首相の問責決議案が先行、可決され、法案審議が成されなかったためだ▼問責決議に至った経緯は、国会運営で与野党間の真摯な話し合いが成されず、その結果出てきたいびつ≠ネ形が拡大したもの。与野党の身勝手さが、国民生活を左右させる重要法案を廃案にさせた。良識の府の看板を下ろす時期に来ている▼参議院が、衆議より大人≠ナあって、品格あるものなら、その存在意義はあるだろう。しかしそれが失われ、「何も決められないネジレ国会」の要因になっているのなら、参議院不要論は現実味を帯びてくる。今回は、その必要性を感じさせた▼なぜ与党は問責決議の先行採決を容認したのか。なぜ当初法案成立に賛同していた民主党が、突然問責決議に賛同したのか。与野党とも、その行為が法案の廃案に繋がるのを知っていながら…。法案成立より、来月に迫った参議選に思いが走ったのか。国家より政党を、政党より自己の保身を優先させる、そんな姿が浮き彫りになる。国民こそ問責決議案を提出したい。参議選への投票の中で。 ■本紙デスク(2013/06/26) 金子みすずの詩「星とタンポポ」は「昼のお星は目に見えぬ、見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」│と表現している。見えないものに大切な意味が隠されているという感覚は、日本人の精神文化の軸と言えよう▼正月に行われるカルタ・百人一首で「乙女の姿…」は僧正遍正の作。誰もがこれだけは≠ニ熱くなる札だろう。天女の羽衣伝説の舞台は静岡県「三保松原」。その三保松原が富士山と一体として、ユネスコの世界文化遺産に決まった▼ユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」は事前審査で三保松原は富士山と45キロ離れている≠ニ、除外勧告を出した。しかしカンボジアのプノンペンで開かれた「世界遺産委員会」は、この除外勧告を覆(くつがえ)し、逆転での決定を下した▼「距離が離れていても、三保松原は富士山と一体である」│という説明を、文化庁の近藤長官らは4日前からプノンペン入りし、委員に粘り強く説明。その結果ほとんどの委員が理解を示し、勧告に反対する意見を述べたという。吉報を待っていた静岡県など地元の人たちは「言葉でうまく説明できない日本人の感覚を理解して貰えた」と喜んだ。説明者の努力を讃え、勧告を退けた委員会こそ見事である▼45キロの距離、その空間があればこそ富士山と一体なのだという、距離の持つ意味を良くぞ理解してくれた。そんな感動を覚える。画家・ゴッホは、葛飾北斎の「富嶽百景」の遠近法に学んだという。富嶽とは富士山のこと。世界の芸術に影響を与えた富士山の、世界遺産決定を素直に喜びたい。 ■本紙デスク(2013/06/23) クマ撃ちのハンターが多かった数十年前、親熊が射殺され、2頭の小熊が上渚滑市街地に連れてこられた時があった。その記事を民友新聞に掲載すると、読者から「山奥でヒッソリ生きて来たクマをなぜ射殺する必要があるの?母を失った子熊がとてもかわいそう」と電話がかかってきた。その通りだと思った▼当時は、山でクマに襲われる事故が多発し、山間部の畑ではクマの被害に悩まされていた。放牧の牛が襲われることもあった。藪(やぶ)から、巨体を低くしデントコーン畑に侵入する姿も見られた。人もクマも互いに恐れ合っていた▼そんな時代を経て、野生動物の保護とハンターの減少もあって、現在のクマは人を恐れない「新世代熊」と言われている。世代交代で銃の怖さを知るクマが少なくなり、山と人里の境を越えてくることも多い。市街地を悠然と歩き、人の存在を気にしない光景も見られる▼世界遺産の知床には、観光客がクマの姿を求めてやってくる。人の姿に慣れてしまったクマは、観光客の目の前でユッタリとしている。こんな光景は、ひと昔前では考えられなかったことだ▼しかし野生のヒグマが危険であることに変わりはなく、慣れから来る不慮の事故は常に存在する。特にクマ観光≠ニは縁遠い地域のクマは危険だ。山菜取りなどによる事故は後を絶たない▼とは言え、北海道の野生動物の代表格であるヒグマには、堂々とした風格と、人間が近寄れない威厳を保っていて欲しい。人と相容れない強い動物が、この大地に君臨していることも、北海道を特徴づけているのだから。 ■本紙デスク(2013/06/19) 14日朝8時半、通勤時間に東京・新橋駅付近からタクシーに乗った。雨が降り、みんな傘をさしていた。駅周辺は狭い道が多く、タクシーはその中を走る。歩道がないためか道の端に寄る人は少なく、車の前を歩く人も多かった▼混雑する道を、私を乗せたタクシーは人ごみを分けるように進んだ。時にはスレスレになり、タクシーが衣服の一部に触れそうになる時もあった。乗っていて緊張する。とても危険な時間帯だと思った▼太い道路に出たので「あんな混雑の中を運転して、緊張しませんか」と運転手さんに聞くと、彼は「ハイ緊張の連続です。つい先日の今頃の時間、うちの運転手が通勤者に接触し、50万円払うハメになりました。でも、ノロノロ走っていては仕事になりませんから、危険承知でギリギリの速度で運転するのです」と言う▼彼に言わせると「東京の人は自己中心の人が多く、他人の事なんか考えていない。共に事故を防ごう≠ネんて、考えていない。子供達の方がマナーが良いですよ。時には私がもっと道の端を歩いて≠ニ注意しても、無表情のまま無視されます」「それに当たり屋≠烽「るので、本当に気の休まる時がない」▼傘をさし、もう一方の手に携帯電話を持つ人。音楽でも聞いてるのかイヤホンをかけている人。これでは車が近づいてきても気が付かないだろう。彼は「運転は一か八か。遠慮していては車を走らせられませんから…」と表情を曇らす。「そうですか、オホーツク・紋別からですか。ガリンコ号に乗りたいです」と、ようやく笑顔を見せてくれた。 ■本紙デスク(2013/06/14) 「山笑う」という言葉がある。山が冬眠から醒め、木々の芽がふき、新緑が映え、野の花も一斉に開花する時を表現する言葉だという。厳しかった冬が去り、自然が一気に色づき活気が出てきたオホーツクの初夏は、まさに山笑う℃桙ニいえるだろう▼過日、写真好きの友人と浮島峠経由で旭川に行ってきた。その時彼は「車のウインドウをカメラのファインダーに見立て、シャッターを切ったつもりで楽しむようにしています。展開する四季折々の風景は、とても素晴らしく、千変万化だからね」と言う▼うまい楽しみ方があったものだ。言われてみれば確かにそうだと合点がいった。彼を真似てみると、実に多くのシャッターチャンスがあるのが分かった。彼は「残念ながら、作品としては一枚も残っていないけどね」と言って笑った▼田園地域や滝上の芝桜、そして緑したたるドライブコース。生き生きとした大自然の姿がファインダー≠フ中に展開して来る。浮島トンネルを過ぎると、右手の急峻な山肌に多くの雪崩(なだれ)の跡が鮮明に浮き出ていた。その跡も、やがて植物の成長で隠されるのだろう▼雪解けのせいで、川の水は勢いよく流れている。しかし日本各地の川、湖は今、雨量が少ないために、底の土砂が割れている所もある。世界的に見れば、大河と知られる川が干上がって、流れの止まった所もあるという▼3年前に見た、インドネシアの大河・ブンガワンソロも、乾季には水が流れていなかった。それらを考えれば、我々の住む地域の自然の豊かさを改めて実感する。決して当たり前の風景ではないのだ。 ■本紙デスク(2013/06/06) サッカーのワールドカップ(W杯)出場をかけた、日本−オーストラリア戦は、実に爽快な内容だった。印象的だったのは両チームのフェアープレイ。日本はこの試合でW杯出場を決めたく、オーストラリアはB組2位に残れるかどうかの剣ヶ峰。そんな重い試合が、あまり例を見ない程礼儀正しく行われた▼クロスプレイの時でも、互いの選手が手を差し伸べ肩を叩き合い、エキサイトした場面は見られず、審判員も笑顔の判定をしていた。また、6万人のサポーターの整然とした応援態度も、会場の雰囲気を盛り上げた▼勝っても負けてもいつも問題になるのは、会場の外でのサポーターの騒動。特に若者の常軌を逸したパフォーマンスは、交通障害を引き起こすなど周囲に大きな迷惑をかけてきた。しかしこの日は警察の指示に従い、共に日本チームのW杯出場決定を、落ち着いた表情で喜んだ▼呼びかける警官の言葉も洒落(しゃれ)ていた。「サポーターの皆さんは12番目の選手。ルールとマナーを守り、フェアプレイで今日の喜びを…」。繁華街の路上に笑顔が広がり、柔らかな空気が満ちていた▼ただ単に勝利に突っ走るのではなく、サッカーという世界規模のスポーツに、選手として出場できる意味、そしてそれを楽しむサポーター。この日の試合には、そんな成熟した空気が流れていた▼今の時代、特に若者にとっては将来の見えない焦燥感あふれるもの。ハイタッチで他人との手の平の瞬間の触れあいを、明日のエネルギーにする人もいるだろう。歓喜と寂しさとが同居しているようにも見えた。 ■本紙デスク(2013/06/02) 紋別公園の陽だまりに、10数人程のお年寄りの集団がおられた。あるグループホームの方達だと言う。引率する職員の方が「久しぶりの暖かさですから、みんなに太陽と一緒にいてもらいたくて」と話してくれた。28日は桜も満開。爽やかな風が新緑の香りを運んでいた▼車いすの方も多かった。展望台の下の、平らな所に車いすを安定させ、紋別のマチを眺め、オホーツク海を見回していた。みんなニコニコ顔。「久しぶりに、こんな高い所に来たよ。いいねえ、たまには」「暖かいねえ、楽しいねえ」と、短い言葉を交わし合う▼職員が、出来たての弁当を車で運んできた。一番楽しい時間だ。お年寄りの表情がさらに明るくなり、柔らかな会話が続いた。汗をかき、お世話に飛び回る職員は「喜んでくれるみんなの笑顔を見れば、私たちも嬉しい」と表情を輝かせる▼お弁当を楽しむお年寄り達は、ここに至る人生の中で色々な事に出会ってきただろう。喜びも、予期せぬ悲しみもたくさんあっただろう。みんな、それらを乗り越えて生きてきた。桜の香りを運ぶ優しい風が、お年寄りにはふさわしい▼│かすみたつ、長き春日を子供らと、手毬(てまり)つきつつ、けふ(きょう)もくらしつ│江戸後期の禅僧・良寛の句。老いても、童心にかえり、子供たちと手毬を楽しむ静穏な心境が伝わってくる。公園のお年寄りは、そんな遠い日を思い出しているのかもしれない。ひと時の貴重な時間をプレゼントする職員の心こそ尊い。支え合って成り立つ「人」という文字の意味を、深く感じた光景だった。 ■本紙デスク(2013/06/01) 北朝鮮に拉致された多くの日本人の一日も早い帰国は、家族にとって一刻も待てない悲願であり、私たち日本人にとって最大の懸案である。今回の飯島官房室参与の訪朝は、その道を切り開く安倍首相の第一歩であろう。今後、次々と具体的な作業が行われることを期待したい▼10年程前、中国の大連市にプライベート旅行をした。大連と言う都市は、戦前、中国国内で生活していた日本人が、戦後輸送船で大挙して帰国してきた港湾都市である。しかし中国人の養子になったり、現地で結婚した女性など帰国できなかった残留孤児、残留婦人が多く残った▼大連で帰国を待った日本人の多くは、浪速通りという地区に住んでいた。食べ物がなく、ゴミ箱に半身を入れたまま息絶えた人も多かった。背後の山には、多くの日本人が無縁仏として埋められたという▼浪速通りに、一人のお年寄りのご婦人が佇(たたず)んでいた。日本人だった。私の問いかけに「懐かしい。本土からの方とお話しするのは、久しぶり」と言う。彼女は視力を失っていた。中国人と結婚し、幸せに暮らしているという▼天気の良い日は浪速通りに来て、日本の方角に向かって手を合わせるのだと言う。「もう、日本の土を踏めないでしょうが、こうしていると心が落ち着くの」と、静かに微笑んでくれた。やがて、女の子が迎えに来た。手を取り合って去って行く二人の後姿を見送った。北朝鮮に拉致された多くの日本人も同じように、東の方向を見ながら、いつになるか知れない、絶望的に長い帰国の日を待っているのだろうか。 ■本紙デスク(2013/05/30) 人は誰もが夢を持つ。実現出来そうもない夢、出来そうな夢。その振幅によって見る夢は異なるけれど、夢が一つでも叶えられれば、その人の人生は豊かな色彩に彩(いろど)られるだろう▼80歳で世界最高峰・エベレストの登頂に成功した三浦雄一郎さんは、山頂から「世界最高の気分。80歳でまさか着くとは。ヒマラヤの美しい景色が眼下に広がる」と、伝えた。世界最高齢でのエベレスト登頂は、三浦さんにとって「夢」であり、実現させる「目標」でもあった▼ほとんどの高齢者にとって、否、若い人にとっても、エベレストへの挑戦は夢の彼方に在るもの。まして80歳の年齢で挑戦するには、あまりにも遠すぎる夢のまた夢。想像する事さえあり得ない夢と言えよう▼しかし三浦さんは「目標」に向かって日々の努力、鍛練を積み重ねた。日常生活で鉛(なまり)を付けた靴を履き、金属で重くしたリュックを背負い続けた。普通の人なら身体を壊すところ、三浦さんの強靭な肉体が、それを可能にした▼しかし今回の挑戦は、非常に危険なものだった。下山途中、体力の限界を超え、自身「幽霊みたい」と言うように、足元もおぼつかず、ヘリコプターでの下山となった。「生きて帰りたかった」と、「死」が、そこまで迫っていた事を語った▼努力の結果とはいえ、世界一幸せな人と言えよう。一緒に登った長男や多くの人にサポートされ、人生最高の喜びと夢を手にすることが出来た。そして世界中の人に夢と希望をプレゼントしてくれた。一回限りの人生を、世界一高い場所で色彩豊かに飾った。 ■本紙デスク(2013/05/23) 「友達になっても隣人になるな」と言う諺がある。良き隣人同士になるのはなかなか難しい。あまりにも利害が重なり、しかも互いに気持ちを知り尽くしているので、ちょっとした言動が敏感に伝わる。いつまでも付き合おうと思えば、適当な距離を置くべきなのだろう▼国政を担おうとする政党、国会議員にとって、選挙は第一の関門。ここを通過しなければ、全てが水泡に帰する。そこで政党の方向性などが一致すれば、選挙協力をして党勢を拡大しようとする。「日本維新の会」と「みんなの党」は、それを確かめて選挙協力を決めた。しかし、維新の会の橋下徹共同代表による一連の発言で、選挙協力が解消され、今度は互いを批判する始末▼重要な参院選のために結んだ選挙協力。発言一つで瓦解するとは、あまりの脆(もろ)さに驚かされる。国民の前で交わした選挙協力は、今後の日本の政治を左右するような重要なこと。しかし一つの発言で撤回されるなら、この発言がなくても、いつ何かの原因で協力体制が崩れるか、分からない▼言わなくても良いことを発言した橋下氏は軽率だったかもしれない。しかし気になるのは、それを非難し、糾弾する政党、政治家、マスコミ。言葉が躍り、走り、装飾された表現が巷(ちまた)に流れる。「負の部分はさらに別な姿に変わる」とは、よく言われること。それにしても、他を非難する時、みんな自分が聖人君子であるかのような振る舞いだ。そして、選挙で一つでも議席を得るよう、日本にとっても不幸な橋下発言をこれ幸い≠ニばかり、利用しようとしている。 ■本紙デスク(2013/05/19) 自治体のトップリーダー・首長は、当然のことながらその自治体の命運を担う。その役割と責任は極めて重く、同時に権限は強大である。首長に任を得るか否かで、そのマチの命運が決まる。特に昨今のように地方自治体が苦境に在るとき、首長に立候補する際は、自分がその任にふさわしいかどうか、厳しく自己に問わなければならない▼紋別市の市長選挙は6月に実施される。今のところ現職と新人の一騎打ちと予想されるが、双方に望むことは、当選後のマチ作りに旺盛な意欲と斬新なアイディアで臨んでもらいたい│という事である。今までの紋別市が置かれていた状況と、今後の4年間、その後とでは、次元の異る難局に遭遇するであろう。それに耐え、発展に繋げてゆくだけの実力があるのかどうか。自己分析が必要だろう▼心に哲学を持つべきは市議会議員。本来の議会は、市長と議員が互いに牽制(けんせい)し合い、政策を審議、論議し、自治体の繁栄を期するものだ。首長は選挙の際に公約を掲げ、それに従って行政運営を行う。その選挙に、議員が候補者を擁立したり支持を表明したりすることは、慎むべきであろう。その後の議会審議のもたれ合い≠ノ繋がるからだ▼今回の市長選。良い意味でわくわく≠ウせてもらいたい。閉塞感漂う現況に対し、それを吹き飛ばすような政策、方向性を掲げ、市民を惹(ひ)きつけて貰いたい。立候補者には、それ位の魅力が求められる。それに応えられないなら、激流を渡れぬ、相変わらずの平凡な自治体になるだろう。市民が拍手する颯爽とした選挙であれ。 ■本紙デスク(2013/05/17) 「教育長の出前ワークショップ」という、今までになかったプランが実施される。昨年11月に潮見小校長から教育長に就任した斎藤房生氏が現場感覚で自分に出来ることは>と考えた。現場の教師は日々の仕事に忙殺され、時間がない。それなら自分が学校に出向き、教育について意見を交わし合おう│と思い立った。名付けて「夢アップ・プラン」▼夢をアップさせるため「こども力、教師力、家庭力、地域力」と、4つの柱を立てた。まずは「教師力アップ」から始めることとし、この春から11月にかけて会場を7か所に設定。市内全小・中学校の教師と語り合うことにした。斎藤教育長は「現場の声を聴き、先生方の思いを教育に活かしたい」と夢≠語る▼夢の先に在るものは何か。当然のことながら、子供達の健やかな成長である。子供を取り巻く様々な環境、それによる不登校、いじめ、学級の機能低下などが教育の課題になっている。教育委員会も先生も、そして親も地域も、みんなで真剣に考え、一歩ずつ前進しなければならない▼出前≠ヘ、斎藤教育長の真剣度を表している。教育に携わる者だけでなく、子供たちの成長のために、大人は何を成すべきか、心を一つにして一点を目指すべき時期に来ている。出前≠ナは、ヒザを突き合わせて1時間半ほどの時間をとる▼重要なのは、話し合いの向こうには、これからの長い人生の基礎となる、小・中学校生活を過ごす子供達がいる│ということ。出前の場で教育を語り合い、夢≠ふくらませてほしい。自分たちの一歩の前進のためにも。 ■本紙デスク(2013/05/15) 12日付け日経新聞に「被災地の子供から日本のリーダーを」という記事が掲載されていた。兵庫県姫路市で学習塾を経営する西本さんという人が、東日本大震災で仮設住宅で生活している中学生に、無償で学習支援をしている。西本さんは言う。「本当の幸福の意味を知る被災地の子供の中からこそ、将来の日本のリーダーを」と▼私ごとで恐縮だが、一昨年の11月、それまで本紙に音楽について投稿してくれていた、ロサンゼルスに住むピアニスト・上野淳子さんの協力を得て、岩手県の大槌町でピアノ演奏会を開いた。仮設の校舎に美しいピアノ曲が流れた。目を閉じて聞き入る大槌中学校の生徒達。「海にも届いているだろうか」と涙を浮かべる生徒もいた▼津波で家族が流され家を失い、昨日まで一緒だった友も戻ってこない。仮設校舎の庭の花壇には「がんばれ大槌町」「私たちは負けない」「明日を見つめよう」など、手書きの短冊が飾られていた。教師は言う。「笑顔を浮かべているこの子達、でも背中には悲しさがあふれています」と▼演奏会が終わって生徒と話を交わした。そして、その瞳の深さに驚かされた。想像を絶する恐怖と悲しみを経験した彼らの目は、過去と現在と未来を、同時に見つめる真剣な輝きを持っていた。生きている自分たちの、これからの使命を見つめる鋭さがあった▼その時私は「これからの日本のリーダーは、この中から出てくる。いや、出てきてほしい」と思った。西本さんが言ったように、私も大槌中学校の生徒の中から、明日の日本を託す人材が輩出されると思った。 ■本紙デスク(2013/05/12) 「待つ」ことの少ない世の中になっている。手の平に収まる携帯電話、スマートフォンが個人を世界と結び、インターネットからは、あらゆる情報を瞬時に得ることが出来る。以前は考えられなかった事が、今は当たり前の日常になっている。とても便利だが、欲するものが待つことなく手に入る環境に、一抹の味気なさを感じる▼テレビから、さだまさしの「舞姫」の声が流れてきた。踊りながら恋人をいつまでも待ち続ける│という内容の歌詞だが、その中に「待つことを止めてしまった時、恋は死んでしまう」という言葉がある。一途に待ち続ける舞姫の切ない心と、甘味さが伝わってくる▼こんな便利で早い通信手段がなかった時代、恋人たちは相手への想いを手紙に託し、返事を待つときめきを共有した。時にはもどかしさ≠感じたのも、その間を行き交う絶対的な時間があったからだ。「待つ」ことは情緒を産み出す役目も果たしていた▼しかし今≠ヘ、声も写真も、文字も、思うがままに、待つことなく即座に伝わる。あれこれ思いをめぐらす事もなく、互いの意志は素早く双方を行き交う。即物的に過ぎる│と思うのは、古い時代に属する人間だからだろうか。「待つ」という時間の層の中に、幾重にも織り込まれた心のヒダが有るように思えるのだ▼良く「文明は距離と時間を短縮した」と言われる。しかし時間には経過というものがある。経過を省略し、あるいは圧縮してしまえば、色彩豊かな物事の移ろいを見過ごしてしまう。しかも時代はさらに、待つことのない、ある種無味乾燥な状況を作って行く。 ■本紙デスク(2013/05/10) 以前、医師であり登山家の今井通子氏に会った時、少し時間があると、カバンから葉書を取り出しサラサラと文章を書いていた。そのことを質問すると「講演などで各地を回り、主催者の方々へのお礼の手紙を東京に帰ってから書くと、つい遅れてしまう。旅の途中で時間を見つけて書くようにしています」と話してくれた。そしてたくさんの葉書を見せてくれた▼私たちは、成すべき事をあとで≠ニ後回しにし勝ちである。そのうち宿題がたまり、結局は時間が経ってしまったから、今度別な機会に…≠ネどと、自分勝手な理屈をつけ、結局は礼儀を欠いてしまう。私事で恐縮だが、遠い日、結婚式のお礼を、ついに出さずに葉書だけが残ってしまった▼「そのうち、そのうち、弁解しながら日が暮れる」とは詩人・相田みつをの言葉である。確かに、私たちの生活にはそのうち≠ニ、物事を後回しにする事が根付いているようだ。そのうち≠ニいう、実に便利な言葉で、そう思うことで変に落ち着いてしまう自分が居る▼いずれ≠ニかそのうち≠ニ、宿題を後回しにすると、結局は大きなつけ≠ェ回ってくる。成すべき事の多さがストレスになり、結局は手抜きをしてしまい、その事にさえ仕方ないさ。忙しいんだから≠ニ、勝手に納得して、その場を切り抜ける▼今井さんの行動を見て、それをまねる決心をした。しかしそんなに急ぐことはない。まあ、後で≠ニ、折角の決心なのに、すぐ挫折してしまった。「自分には向いていないのさ」と、また勝手な理由をつけ、そして今日に至っている。 ■本紙デスク(2013/05/08) 日露間の最大の懸案である北方領土問題の解決に向けて、安倍・プーチン会談で「領土交渉再開」という大きな前進を見た。10年間途絶えていた交渉が再スタート。「双方の外務省交渉と、それによる両国首脳の高度な政治判断」など、解決に向け具体的な手法も決まった▼領土問題について、長期間外務省の中心にいた東郷和彦氏の著書「日本の領土問題」によると、鍵になる文書はサンフランシスコ平和条約(1951年)、日ソ共同宣言(1956年)、グロムイコ声明(1960年)の3つ。この中で4島のうち歯舞、色丹両島の日本への返還が表面化したが、日本はあくまで国後、択捉を含む4島一括返還を主張してきた▼その後、海部・ゴルバチョフ声明、細川・エリツィンの東京宣言と続くが、東郷氏によると、この間ロシアは歯舞・色丹を返還し、国後・択捉についてギリギリの譲歩を伝えてきたと言う。その後2001年の森・プーチンのイルクーツク会談で国後、択捉両島が交渉の対象になった。しかしその後の日本の政局の混乱で、折角のチャンスを失った▼東郷氏は「ロシア側にしてみれば重要な問題について、交渉を事実上放棄する日本を、尊敬できる交渉相手と思えないのでは」と言う。「4島は日本固有の領土」は日本の不動の姿勢だが、東郷氏は「その固定観念が自縄自縛となり、現実の諸条件への柔軟対応が出来なかった」と日本の外交の失敗を語る。「双方受け入れ可能な知恵を出し、日ソ平和条約を締結すべき」とする今回の交渉再開。日本は解決への最後の機会と捉えるべきだろう。 ■本紙デスク(2013/05/02) 西欧の故事に「ダモクレスの剣」というのがある。危険の上に保たれている安定≠ニいう意味。シシリー島の都市国家の王・ディオニシウスは貧しい環境から身を興し、王位まで上り詰めた。しかしいつ刺客に襲われ、地位を奪われるか分からない▼側に仕える家来のダモクレスはいつも王の地位を羨(うらや)んでいた。それを見てある日王は「私の座に一日だけ座ってみるが良い」と勧め、ダモクレスは大喜びでその座に座る▼その時ディオニシウス王がダモクレスに「頭の上を見よ」と声をかける。ハッとして頭上を見上げると、天上から鋭い剣が、しかも一本の髪の毛で吊るしてあった。生きた心地もなく震えるダモクレスに、王は「それが俺の地位だ。王の身には絶えず危険が迫っている。あまり居心地が良いものではないぞ」と言った▼好調な支持率を得る安倍総理。沈没寸前だった日本経済を元気づけ、国民の心に明るさを与えている。矢継ぎ早に出される諸政策は、今までの内閣にないスピード感がある。しかし安倍総理は5年前に「潰瘍性大腸炎」で政権を手放した。健康上の心配は、現在も払拭されていない。しかも、国民の趨勢(すうせい)として、自らの努力より、アベノミクスの効果に頼ってしまう傾向にある▼次の総理の座を狙う身内≠フ影も見え、安倍内閣に何か失策があれば、野党からも身内からも総攻撃を受ける。政治は一寸先は闇。その座はすぐ崩れ去る。順風満帆の安倍政権だが、その頭上には細い糸で吊るされた剣が揺れている。安倍総理は緊張感をもって、総理を続けていられるのだろう。 ■本紙デスク(2013/04/28) 「雪が消えたら家の中を整理し、不要なものは処分しよう」と妻と話し合っていた。その時期が来たので、先ず自分の部屋の整理から始めた。保管してたら役に立ちそう≠ネどという悠長な考えは捨て、今まで使わなかった物は捨てる事にした▼以前は必要だったが、これからは要らない│という範囲のものは想像以上に多い。文書関係、書物、衣類や色々な道具│。若い頃とは異なり、歳をとってシンプルな生き方をしようと思えば、自分の周辺にある殆どのものが不要な対象になる▼平安末から鎌倉時代の歌人・遺筆家の鴨長明は、50歳を過ぎてから京のマチを離れ、自然の中に一人生活した。求めたのは俗世間の掟にしばられない、精神の自由だった。一般的に人間は集団の中で生きるもの。孤独には弱い≠ニ言われる。しかし反面、年齢と共に、自分の周辺を簡素化して行くことにも憧れるものではないだろうか▼作家の五木寛之は「人生に必要なものは驚くほど少ない」と言っている。誰かが「人生には一人の友と一冊の本、一つの思い出があれば良い」と言っていた。それは極端かも知れないが、表彰状とか感謝状、記念品、山となった写真。いつ買ったか不明の本の数々。それらは今まで生きた軌跡かも知れないが、それらは肥大した人間関係、単純な欲望の産物でもある。それらから解放されても良い頃だろう▼人生で一回くらい、自分の周囲を白い世界にしたい。そこから何が生まれるか。否、何も生まれない方が強いだろう。しかし春の清掃期を迎え、自分の周囲を簡素化する挑戦も、流行語ではないが「今でしょう」。 ■本紙デスク(2013/04/25) 正常と異常の違いは何なのか。一見異常と思われることも、突き詰めて行けば、それなりの理論があって、正常に近づく。反対に、常識的と思われることも、良く考えれば少しずつ綻(ほころ)びが目立ち、どうも正常とは言えないこともある。人は、正常と異常の間を行ったり来たりしているのだろう▼歴史あるボストン・マラソンでの爆弾テロ事件。容疑者のツァルナエフ兄弟のうち、弟は事件後もサッカー仲間とパーティーを楽しみ、ジムで運動もしていた。彼の周囲からは「事件と彼は結び付かない」と一様に驚きの声が上がっている▼大学生活を送る正常な彼と、かたわら銃器や爆弾を用意する異常な彼が、同時進行で日常の中で同居する。その間に在る境目には、どれ程の厚さがあるのだろうか。行き来しているうちに、正常と異常が一緒になり、身勝手な理屈が先行し、爆弾テロが正義の行動に姿を変えてゆく▼事件そのものは特異なことだが、この兄弟は果たして特殊な人間だったのだろうか。外国に例を探すことなく、日本の日常でも、異常行動の末に無差別の死傷事件が後を絶たない。いつ何時、隣にいる人が訳もなく刃物を振りかざし、何の関係もない人に向かってくるか分からない▼世間の評判が良く、優秀と言われた人物が突然姿を変え、信じられない行動に出る。その正常と異常の境目はどこにあるのだろうか。もしかして、それは非常に薄いもので、いつどっちに転ぶか分からないものかも知れない。ボストンの悲劇は、決して遠いものではなく、我々の身近に存在するものと言えよう。 ■本紙デスク(2013/04/19) 2011年12月、当時の野田総理が記者会見で、福島第一原子力発電所の事故について「冷温停止状態が達成された」として収束宣言をした。どうなることか│と国民が固唾(かたず)を飲んで事故の行方を見守っていただけに、この終息宣言に「早すぎるのでは?」と疑問を持ちながらも、一応の安堵感を得た▼それから1年4か月経った今、収束どころか、日々400トン発生する汚染水の処理は後手に回り、貯水タンクを増設するにも敷地がなく、増え続ける汚染水をどうするか、見通しは立ってない。専門家は「深刻な状態」と分析する▼折しも、アメリカのケリー国務長官が韓国、中国を訪問し、最後に日本を訪問した。一番の案件が北朝鮮のミサイル発射、核実験などの挑発に対応するものである。「北朝鮮の挑発は容認できない。日、米、韓は結束している」と発表されたが、あまりにも当たり前な内容。実際は安倍総理と秘密裏に話し合った内容こそ、対北朝鮮への実質的な対抗手段であろう。核ミサイル攻撃を宣言している北朝鮮に対しもし、その時≠ノ対する先制攻撃を話し合った事は容易に推察される▼伝統あるボストンマラソンで悲惨なテロ事件が起きた。アメリカは次のテロに備え、警戒を強めている。そのほか世界各地で紛争、テロが発生し、人類は今、緊張の中に在る。そんな中、日本の党首討論が放映された。何とも現状にそぐわない、能天気な討論内容だった。参議院選挙を意識した自己主張に明け暮れ、国際情勢に立脚した論議が成されていない。恥ずべき狭さだ。もっと今そこに在る危機に対する討論をすべきである。 |
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