オホーツクつれづれ草
話題の書「天才」を読んで
今の政治家は狭い器≠フ中
「人間の人生を形作るものは、何と言っても他者との出会いに他ならないと思う」
元・衆議、東京都知事、芥川賞受賞者、石原慎太郎が、元総理・田中角栄について出版した「天才」の後書きに記した言葉だ。かつて田中角栄の金権主義に、真っ向から弓を引いた石原が、後書きの中で「今の日本の繁栄と文化の多くは田中角栄と言う政治家に依る。彼の様な天才政治家が今居れば…」
と、語っている。
出版されたばかりのこの本を読んだ。石原が田中角栄が書いた私小説のように一人称で完成させた書だ。226ページの分厚い本だが、一気に読める面白さだ。
戦後最大の疑獄事件とされるロッキード事件について、58歳で逮捕されてから75歳で結審(首相の犯罪認定)するまで17年間、田中は「事件はアメリカの陰謀。それに追従した日本の検察、裁判の稚拙さ」を批判し、自身の潔白を主張した。
54歳で総理に就任し、すぐ実現させたのが「日中国交正常化」。この大事業に対して、田中と周恩来首相、毛沢東主席とのやり取りは真剣な中にも実にユーモアがあり、爽快なものだった。3者の人間的なスケールの大きさが、際立っている。
この本から田中角栄という人物の、先見性と実行力、複雑な課題に対し一つの真理を力に突破する明快さ、言葉の力、その重みを充分に感じさせる。石原が天才≠ニいう言葉を使う心が理解できる。
何故爽快感が広がるのか
本の内容に、何故喝采をしたい気持ちになるのか。それは現在の日本の多くの政治家が、田中角栄と言う過去の政治家と比べようもない小者だという事が浮き彫りになっているからだろう。少なくとも、田中はその時成すべき最大の課題に、真っ向から取り組み、素早く力強く突破して行った。お茶の間に流れるテレビ画面を思い浮かべながらパフォーマンスを演じ、正義面して声を荒げる。そんな質問を延々と続け本筋を見失う政治家とは比べようもない。一強≠ニ言われる一大臣の失態を格好の攻撃材料とし、声高らかに非難し、自己の政党に追い風を吹かそうと、今後も飽かず追及してゆくのだろう。
選挙のための政党間協力、党の合流と言うその場しのぎ。選挙を主目的にするから本道を見失うのだ。小さな器の中でせせこましく走り回り、器から出ることのない狭隘な世界観。世界が激変する中、日本の多くの政治家こそ平和ボケの中に居る。