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オホーツクつれづれ草

2016/02/18

ツギハギだらけのスキー板
 我が小学生時代のスキー授業


 およそ60年前の、小学校のスキー授業を思い出す。勉強は嫌いだったが運動は大好きで、特にスキーは得意だった。1年先輩に澤富靖さんというスキーの天才(私たちはそう呼んでいた)が居たこともあり、彼とは良く大山スキー場などで楽しんだものだ。彼はその後国体の選手になったり、各種大会で大活躍した。
 孫がスキー授業用にスキー一式を揃えた。スキー板や金具(ビンディング)を見て驚いた。私たちの時とは隔世の感がある。スキー板はグラスファイバー、カーボンなど多彩で、金具はブーツに合わせてスキーに固定する。今の人に言わせれば当たり前でしょ≠ニ笑われそうだが、私たちの時はスキー板は木製の板そのもの。それでジャンプなどを飛べば、着地の衝撃で折れてしまう事も有った。そう簡単に買っては貰えない。田中スポーツの先代社長が、ブリキのような金属で折れた部分を繋ぎとめてくれる。その技術は超一級。ツギハギだらけのスキーは珍しくなかった。


皮ヒモと長靴で大山ジャンプ

 ゴーグルなんて、当時は見たことがない。初めて見た時は、オリンピックの選手かと思った。
 スキーの留め金は、殆どが皮ヒモ。スキー靴に至っては普段使っているゴム長靴。つま先だけでスキーを着けている。そんな装具で、よくも大山ジャンプ台を飛んだものだ。田中社長もジャンプが好きだった。私も指導を受けながら挑戦したことを懐かしく思い出す。
 勿論リフトなどはなかった。山のふもとからスキーで横歩きしながら登り、ようやく頂上に着く頃は汗だく。一気に滑り降りるのがもったいなくて、少し滑っては途中で止まり、また少し上に登って、また滑るという繰り返しだった。リフトで楽に頂上に行くより、確実に足腰が強くなる。今のスキー授業にも、歩く要素をタップリ取り入れることを勧めたい。
 ゲレンデの今は、華やかなスキーウエアーや装具など万全のいでたち。少し厚めのセーターと、靴下を2〜3枚重ねるくらいで満足した当時のことが思い出される。
 当時が貧しかったとも、今が恵まれているとも思わない。それは時の変遷≠ニ言うべきであろう。
 埼玉の友人から、こんなメールが届いた。
「北海道の子供たちはスキー授業があるんですね。そんな環境が羨ましいですよ。私たちも、子供も、孫も、雪で遊んだことがなかった。雪のある遠くのスキー場に行こうとしたら、軽井沢であんなバス事故があるんですから…」
 紋別の子供達の笑顔が輝いている。