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オホーツクつれづれ草

2016/02/20

民主と維新の党の新党は?
 事がうまく運ぶはずない


 自民党国会議員による不適格発言や道義的不祥事が相次ぐ。これでは週刊誌はネタに困らないだろう。事が大きくなると発言を撤回したり、弁明に冷汗を流す。資質的に問題がある議員が多すぎる。いい加減にせよ。世界は目まぐるしく動いていると言うのに。
 一方、追及する野党はどうか。今、注目されている一つの動きは、民主党と維新の党の年内解党による新党結成だ。最大の理由は自民党に対抗するため≠ナある。しかしどうもスピード感がない。当然だ。民主党内で積極派と慎重派に分かれるからだ。ここ数日間の動きは、民主の岡田代表と維新の松野代表との間に距離感が感じられる。
 岡田代表は「本質が変わらなければ新党は無理」と言う。そして解党による新党結成ではなく、国会内での統一会派を求める姿勢だ。
 政党とは本来、政権を目指す思想集団のはず。本質が変わって合流するなら、腑抜けの議員集団と言わざるを得ない。それを条件にする岡田代表の考えに無理があるだろう。だから国民は今、この動きに冷ややかなのだ。
 記憶に新しい2007年、小沢一郎(民主党代表)と福田康男(自民党総裁)が連立政権を画策した。しかし小沢は民主内の反対にあい、代表辞任を申し出た。しかし遺留され、何とか代表続投となったが、この頃から小沢の影が薄れだす。民主党を出て、従来のように自己の信じる道を主張するかと思われたが、その勢いは既になかった。


小沢一郎の失敗例を見よ

 小沢を見続ければ日本の動きが分かると考えた私は、民間人による小沢のサポート集団の一員に加わった。東京で会合が開かれたある日、小沢の側近の衆議がこう言った。
 「民主党という家主の庭を借りてテント生活をしているようなものだ。考えが一致する訳がない。やがて時期を見て、借地から出るよ」
 自民党に対抗するため数合わせを優先し、政治信条を後ろに隠す姿勢では、仮に新党結成に成功しても、国の命運を委ねられる政党には成り得ないだろう。小沢が民主に残って個性を発揮できなかった例もある。維新の党が解党し民主に合流した場合、それまでの維新の党の個性は消失し、個々の議員は心で苦虫を噛み、表で笑顔を作りながら冷や飯を食う事になるだろう。それとも、家主の庭を借り、テント生活を余儀なくされながら、次の機会を狙うのだろうか。その力量もないのに…。
 両党とも理想を掲げ政治活動を続けて来たのなら、解党、新党結成など考えず、あくまで正面突破の道を進んだ方が、国民には分かりやすい。さあ、どうなるのか。