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オホーツクつれづれ草

2016/02/25

心の叫びを静かに伝える
 ナターシャの弾き語りを聴き


 「3日間避難してください」。それが始まりだった。1週間たっても、数か月経っても、そして30年経っても、故郷には帰れない。30年前、ウクライナのチェルノブイリ原発が爆発事故を起こした。当時6歳の女の子が現場から3・5キロの至近距離で被爆した。美しかった故郷は地中に埋められ、その姿を消した。民族楽器のバンドゥーラだけが彼女にとっての慰めだった。彼女の名前は「ナターリア」。成長し、日本で生きることにした。日本に着いた時、彼女はこう祈った。
 「遠くに輝く星よ、どうか私に力を、勇気をください。そして私を見捨てないでください」
 日本語学校で日本語を学び、多くの人との出会いで歌手になった。以来15年、芸名を「ナターシャ」とし、日本各地で演奏活動を続け、22日に紋別の「ホワイトコンサート」に出演した。
 ナターシャの透明な歌声は、遠い時空の彼方から、風に乗って伝わってくるかのようだった。片時も忘れることのない故郷。家族と平和に過ごした小さな家、友達とたわむれた森や小川。それらは永遠に心の中だけの思い出となってしまった。日常の平凡な暮らしがいかに大切で素晴らしいものか、そして人間は本来、その小さな幸せを守り続けなければならないこと。その思いを歌に込め、ナターシャは人々に伝え続けている。
 バンドゥーラは63本の弦から成る、楕円形の重さ8キロの楽器。肥沃で広大な大地と、冬は雪と氷で覆われるウクライナの厳しい自然から生まれた民族楽器である。美しくも哀調のある響きは、人間の繊細な心情まで表現する。指先がかすかに触れる消えそうな響きさえ、ナターシャの声と一体となって人々の感性に迫ってくる。


故郷は地中に埋められた

 演奏後ナターシャに
「故郷、チェルノブイリに帰りたいとは思いませんか」と聞いた。彼女はこう答えた。
 「複雑な気持ちなのです。帰っても、私が心に描く故郷の風景は一つだってありません。全て地中に埋められてしまったのですから…。でも、私の故郷はチェルノブイリ。とても懐かしく、思い出すと涙が出てきます」
 「歌を通して私に出来る事は、ほんのちょっとしたことに過ぎないけれど、大好きな第二の故郷・日本とウクライナを、歌でつなげたい」
 コンサートの最後、会場のみんなと「ふるさと」を歌った。福島原発事故で、周辺の故郷もいつ再生するか見通しがつかない。ナターシャは、その思いも重ねたのだろう。心の叫びを静かに表現する、品性豊かな歌手だと思った。