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2016/03/05
7、8年が経ち、私は紋別で民友新聞社に勤務した。最初の取材先が「紋別公共職業安定所」。就職係長のU氏が話してくれた。
「君と同じ年齢で本州などに集団就職した中卒生は、多くがまだ同じ職場で働いているよ。職場からも信用され、可愛がられ、責任ある部署に就く人も多いんだよ。みな幸せになって欲しい」−と。
さらに年月が経ち、紋別駅頭で見送った友と東京で会った。彼は小さな建設会社を経営していた。
「独立したくてね、少しずつ貯金をして、20年たって、ようやく小型の建設機器を手に入れた。そこからまた頑張って小さな会社を立ち上げた。その頑張りの元は、集団就職で、みんなと別れた駅ホームの思い出だった。みんなに笑われないよう、夢中で働いたさ」
遠くを見るように話す彼。それに比べて私は、高校に行かせてもらい、貧しいながらも楽しい大学生活を送った。彼のような生きるか死ぬか−の瀬戸際などとは全く無縁の時間を過ごして来た。
でも長い時間が経ったある日、予期せぬ出会いがあって、それまでを振り返る話が出来た。その時私は、遠い昔離れ離れになった一本の糸が繋がったように思えた。糸の途中がどうであれ、今、この時、二人は昔の悪ガキになって、涙が出る程笑い合った。中島みゆきの歌ではないけれど、人生は出会いと別れの繰り返しなのだろうか。