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オホーツクつれづれ草

2016/03/10

再建された観光ホテル
 東日本大震災再建不可能≠越えて


 東日本大震災から5年。当時私は岩手県北上市の友人から「惨状を見ておくのも必要」と誘いを受け、陸前高田、大船戸、釜石、大槌町、山田町などを案内してもらった。破壊の規模があまりにも大きく、信じがたい光景が展開していた。
 5年が経過して嬉しい報道が成された。大槌町の海岸高台にあって、津波で破壊された「浪板(なみいた)観光ホテル」が、再建され観光客の賑わいが戻ってきたという。震災直後に見た時は外観は残っていたものの、基礎部分、内部が破壊され、地元の人たちは「再建不可能」と思っていた。そのホテルの女将も、女将の兄、それに従業員3人が津波に流され、行方不明になった。当時のことを、現在社長になっている次男は
「轟音と共に津波が押し寄せてきた。夢中で逃げたが巻き込まれ、気を失った。近くに居た兄の姿はなかった。私は兄を見捨てたのか≠ニいう思いが残っている」
と、語っている。 
 そのホテルが震災3年後「ホテル・はまぎく」と名称を変え、従来の場所に、明るい、近代的なホテルとなって営業を始めた。海外からの観光客などで、当時の約80パーセントの稼働率まで回復した。
 心から嬉しく思う。美しい海岸を一望する絶好のロケーション。これ以降、多くの観光客に日本の美しさを提供するだろう。友人が「復興後の岩手県をもう一度見に来い。そして、このホテルに宿泊しよう」と言ってくれた。


ボランティアの小さな診療所

 また大槌町の役場、消防署などが一瞬に破壊され、町長ら職員も流された。火災も起こり、私がまわった時は高い建物は全て姿を消していた。大槌中学校の校庭のすぐ横に診療所があった。プレハブの粗末な建物。院長は自分の病院が津波に流され、この建物でボランティア診療をしていた。震災後の町の人達の健康状態は、心理的な面も含めて低下していた。診療所は、身近にある唯一の頼りであり希望だった。この小さな診療所が果たした役割は、途方もなく大きい。
 手に数珠を持ちながら、各地の惨状にカメラを向けた。廃墟の中を歩く一人の少女。空間を指さして
 「あそこに家があったの。何か落ちていないかと思って、毎日探しに来るの」
 と話してくれた。
 廃墟の中に、人の頑張りと善意が交錯していた。そして震災から5年、復興は未だ途上で、課題は山積している。しかし被災地は希望に向かって静かに、そして力強く歩み続けている。