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オホーツクつれづれ草

2016/03/22

「不自由な12年間だった」
 ニュースキャスター古舘氏の降板に思う


 テレビ朝日系の「報道ステーション」のメインキャスターを12年間つとめた、辛口で知られる古舘伊知郎氏が今月いっぱいで降板することになった。ニュースキャスターの役目について、古舘氏は
 「言論の自由を守る側面もあるが、あまり偏ってもいけない。しかし純粋な中立公正などありえない。私見を言ってはならないことはないと思う」
 と、胸の内を語っている。局から、あるいは政治家などから、随分注文≠ェ有っただろう。報道の使命とは何か。キャスターとは何か。苦悩を重ねたに違いない。
 「自由にやっていいと言われた割には、ものすごく不自由な12年間だった」
 という古舘氏の言葉に全てが表現されている。


納得できない厳重注意
 こんなこともありました

 「取材したうち、記事にするのは30%。50%を書いたら少し危険。80%以上なら間違いが生まれる」
 私が駆け出しのころ、先輩が言ってくれた言葉だ。特に思想信条に触れる事象なら、かなり慎重にすべきだ。
 私の記者生活を振り返ると、こんな事もあった。
 市議会に特別委員会が設置され、その案件に対して秘密会で審議が成された。私は秘密会にする必然性が感じられなかったから、一面トップで秘密会にした市議会を批判する記事を書いた。
 案の定大反発が来た。特別委員会の委員長からの猛烈な抗議。これが社長に対して行われた。社長に呼ばれた私は、きつく注意された。


社の方針と記者の個性

 納得が行かなかった。議会に付きっ切りで取材し、自分の信じることを記事にした自負がある。私は反論した。「本会議で発表される表面的な記事なら誰でも書ける。議会は議員のものでなく市民のもの。確たる理由なしに審議が秘密裏に行われるのは納得できない。それを記事にする、しないは一線に居る記者の判断が尊重されるべき。それが読者に対する礼儀でないのか」
 しかし社長はさらに理由を言い、記者としての私の姿勢に厳しい注文をつけた。
 私は「真剣に取材活動をし、信じる所を記事にした。現場に居ない社長が、議員から抗議が来たからと言って、私の取材姿勢を非難するなら今後は記事が書けない。ただ今即刻辞職する」
 と一歩も引かなかった。社長は
「一方的な言い方で済まなかった」
と、一応は言ってくれたが、私の主張に対する同意はなかった。以降、二人の間に長くわだかまりが残った。主張とは、難しいもの…。