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デスク記事

2010/04/17

 ほんの数日の花の命。樹の全体を覆い尽くすような花弁。桜の花に寄せる日本人の心は、古(いにしえ)から変わらない。桜前線を追いながら、南から北にかけて旅を楽しむ人も多いという。人は何故こうも桜に惹(ひ)かれるのだろう▼千本桜という言葉があるように、山全体を覆うほど満開でも、桜には他を圧倒するような強烈さがない。それどころか、どこかに儚(はかなさ)さを隠しているような、そんな哀愁さえ感じられる▼だから人は、そんな桜に同化できるのではないだろうか。華やかさ、優しさ、儚さ。そして瞬間に散ってゆく無常感。そんな、人間に共通する全てのものを桜は持っているような気がする。しかし桜が人間と決定的に違うのは、自然のままに生命を燃焼させ、けれんなく散ってゆく潔(いさぎよ)さではないだろうか▼「利己と利他」という言葉がある。誰もが自分は大切だ。しかし自分がそうであるように、他も同じくより良き日≠求めている。それを忘れたとき、人は出口のない坂道を転げ落ちる。誇りと周辺に対する思いやりは、結局は自己も守る力になるのである▼今年、東京の桜が満開になる頃、季節外れの強い風が吹いた。都民は、花見の前に散ってしまうのではないかと心配をしたが、あの強風の中でも桜は満開の姿を保ち続けた。僅か数日の花の命を、桜は爽やかに燃焼させ、散ってゆく▼桜前線がゆっくりと北上している。季節外れの強風と雪。オホーツクの桜の開花も例年より遅いかもしれない。国民不在の政治の貧困、経済の不振、異常な事件事故、かつてのエネルギッシュで気品ある日本はどこへ行ったのか。桜の開花が今年ほど待たれる年はない。