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「李(り)下の冠」という諺がある。李(モモ)の木の下で冠を治そうと手を上げれば、モモを盗む−と疑われる。責任ある立場の人はまぎらわしい行為をしないように−という意味。民主党党首の小沢氏の資金管理団体「陸山会」が、長期に渡り西松建設から巨額の献金を受けていたことについて、小沢氏は「何らやましいことはしていない」と言っている。検察は「国民を欺(あざむ)く悪質な事案」として公設第一秘書の大久保容疑者を起訴した▼冠に手を伸ばすどころか、献金を誰から届けられたのか分からない、形を変えたモモ=|とする言い分。そんな話が通る訳もなく、それでも「自分こそ正義。検察と戦う」と言う小沢氏の真意とは一体何なのか。政治と金をめぐる暗い流れに今こそ決別し、透明な政治を期待する国民の、その願いを担っているはずの民主党。小沢氏自身も党も、「断」を下せなかったのは何故か▼続投か否か・の判断基準を、あくまでも次の衆議選に置いているのも、党利を優先し、大局観に立っていない現れだ。翻(ひるがえ)って、選挙目当てなら、小沢氏が潔く「国民の政治に対する信頼を裏切った罪は重大。その責任をとって党首は勿論、議員を辞職します」と、自ら決断すれば、小沢氏の悲願である政権交代の特効薬になり、自民党を慌てさせるだろう▼「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」・という諺もある。政治家は、国民のために一瞬でも光れば役目は達成される。あまりにも無機質な政治家が多いから、尚そう感じる。「政権交代のためなら自分はどうなっても良い」と豪語するのであれば、小沢氏に辞任の選択もある。続投は結局は保身なのか。小沢氏も民主党も、ここは正念場。次の動きを注目したい。