←前へ ↑一覧へ 次へ→

デスク記事

2009/04/01

 プロのピアノ演奏家にとって、片方の手が使えなくなることは致命的な意味を持つ。普通はそう考えるだろう。50年以上も演奏活動を続けてきたピアニスト・館野泉さんは7年前に脳溢血で半身不随になった。それまでのレパートリが全て使えなくなった。芸術家としての活動が、完全に断ち切られた・と思ったという▼再起のきっかけは、息子さんが左手だけで弾く曲の楽譜を、館野さんのピアノの上に置いてくれたことだった。館野さんは「ハンディをカバーするためでなく、左手だけでも伝わる音楽がある」と気づいた。付き合いのある国内・外の作曲家も、館野さんの復帰を歓迎し、次々に曲を書いてくれ、国内各地で演奏会が開かれた▼館野さんは「以前のように弾けなくなって悲しいとか悔しいという気持はないのです。過去は今に蓄積され、音楽として響き、左手だけの演奏だからこそ表現が深くなったり、陰影が生まれたりもします。それが円熟ということかもしれません」と語る▼フランスの小説家、サン・テグジュベリの言葉に「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだ」というのがある。人の才能、能力は、どこかに隠れているもので、普段はそれに気づかない。いつまでも気づかないかも知れないし、何かのきっかけで発見できるものかもしれない▼では井戸≠ヘどうすれば見つけることが出来るのだろう。それは「自分の中にもきっと井戸はあるのだ」と信じることから始まるのではないだろうか。人生とは、突然何が起きるか分からないもの。それも人生の起伏であり、越えて行くべきもの。そんな時にこそ、自分には自分なりの井戸があるのだと、心に留めることが大切ではないだろうか。特に、今の時代。