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デスク記事

2009/04/02

 まだ寝足りないような焦点の定まらないボンヤリした表情。寝ぐせのついた髪をかきわけ、足を引きずりながら大きな音をたて、ホテルの朝食会場に入ってきた数人の若い女性▼バイキング形式の朝食だったが、料理の品定めをしながら、その時だけ目を輝かせて話に夢中。立ち止まり、時々甲高い笑い声を発し、前に進まない。料理を前にしてのおしゃべりは、何とも感じが悪い。しかも料理の上で頻繁(ひんぱん)に髪をバサバサし、上着の袖(そで)が料理に触れる▼後ろのお客さんは次に進めず、顔をしかめながらも注意も出来ず、しばし立ち止まる。彼女らにとって、周囲はお構いなしの様子。ここがどんな場所なのか、まったく気にかけていない。否、意識の外にあるようだ。彼女達の前にある料理には、誰も手をつけたくなくなる▼マナー以前の問題。これなら注意したって何の効き目もないだろう。このような生活習慣が長い間に身につき、大人になった彼女たちには、他からのアドバイスを素直に受け入れる心は、持ち合わせていないと思われる▼そう考えたとき、一緒に居た友人から「お前の考えは許容範囲が狭い。そういう人を見守り、少しづつ説明して行くのが社会ではないのか」と言われた。そうかも知れない。しかし私には、その気持ちが沸いてこない。人は、他から教えられることも多いが、基本的には自己の意志で、背筋を伸ばして生きなければならない▼個々は、個々でしか責任を取れないのではないか。自己を啓発しようとする心を持ち合わせていない人は、その因果が人生の途上に現れて然(しか)るべきだと思う。もしかしたら、そのとき自分に気づくのかもしれない。真に学ぶ機会は、その時しかないのでは…と思う。