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デスク記事

2009/04/09

 私の机の前の壁に、昨年の交通安全運動のとき、滝上小学校の1年生から戴いた手紙≠ェ飾ってある。「ドライバーさんへ。スピードをだしすぎないように、あんぜんうんてんをしてください。ぼくたちもとびだしをしないように、きをつけます。1ねんせいいちどう」▼この安全運転への呼びかけの手紙を見ると、あの時手渡してくれた1年生の男の子の顔を思い出す。同時に、初めて運転免許を手にしたときに「交通ルールを守りさえすれば事故を起こさないで済む。便利で楽しい車でも、事故を起こせば人生が狂うから」と、言われたことを思い出す▼車はとても便利だ。しかしなぜ便利で楽しい≠フか。それは、車が人間の能力を遙かに超えた力を持っているから。天候に左右されることなく目的地に早く、快適に行くことが出来、仕事にレジャーに、今の社会では欠かせない道具である▼だから、その便利さの裏に危険が隠れている。超能力を持った、この車という道具。使い方を間違い、または少し気を許せば、その超能力が瞬間的に本来の目的から離れ、人々の人生を暗転させる。車の便利と危険とが紙一重で共存していることを、強く認識すべきだ▼春の交通安全運動が続けられている。小学校の新入生は、ここ数日集団下校をしながら帰宅している。車の事故から身を守るため、誘導する先生、子どもたちは神経を最高に働かせながら、車の姿に注視する▼そんな児童の列の横を、スピードを落とさないで走り去る車。そして、静かに、ゆっくりと通る車。しかし本来は、もっと安心して登下校出来て当たり前なのだ。ドライバーの心に「人の命を守る」という、固い責任、義務感さえあれば、それは可能になる。初心に返ることも必要だ。