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司馬遼太郎氏(作家・故人)と、同じくノンフィクション作家の故・山本七平氏が「政治家と金銭感覚について」対談したことがある。山本氏は「金銭の授受には必ず理由がなくてはいけない。しかし日本の政治家は、金を貰って、何故貰ったか聞かれると、理由なしにもらったと平気で言う。アメリカなどでは絶対に通らない論理。『理由なしにもらった』と言えば、それは正気の沙汰ではなく、絶対に通用しない」と言う▼司馬氏は「日本の政界では、貰った理由をつけちゃいけないみたい。これだけ働いたから、これだけ貰う権利がある│と言うことで金を貰うんでしょ。でも日本の政治家は、ずぶっと懐(ふところ)に入れてしまい、もらったけど何もしていません│と言う。どうも最悪だ」と語っている▼企業は仕事を工事を受注したいから、影響力のある国会議員に献金するのだ。しかし昨今のように、これが明るみに出ると、政治家は「私の政治活動を支援してくれるための献金。だからと言って、そのゼネコンに便宜を供与したことはない」と、胸を張って潔白を主張する▼しかしおかしいではないか。それなら、多額の献金をしたゼネコンこそ馬鹿みたいなもの。何もしてくれない政治家に、献金なんか出来る訳がない。それも長い年月献金を続けている。口利きしてもらったから、献金してきたのではないか。何もないなら、献金側にしてみれば詐欺みたいなものだ▼献金された金を一度でも懐に入れたら、その企業のために何らかの便宜を図るのが常識的と言うもの。それを「何らやましいことはしていない」と、それが正義であるかのように主張する姿は滑稽(こっけい)でもある。何もしてくれない政治家に、丁寧に資金提供するほど、ゼネコンは数字に弱くない。