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デスク記事

2009/07/15

 札幌の帰り、滝上町を通過して、フッと思い立って国道を右折して濁川市街に車を向けた。何故そう思ったのだろう。「まだ店をやっているだろうか」と、ゆっくり車を走らせた。看板がないので一回は通り過ぎてしまったが、戻ってくる途中に「リポビタンD」の旗が立っていた。あった≠ニ思った▼白井薬局。40年振りである。私の友人・竹田公昭氏(4年前死去)の奥さんの実家である。私は大学を卒業して、民友の記者として紋別に戻ってきて、そこで北海道新聞紋別支局の竹田記者に出会った。おおらかで、人情味あふれる、兄貴のような人だった。彼が「おれ、結婚することになった」と、奥さんになる人を紹介してくれた。その時、白井家を訪問したのである▼以来、一度も白井家を訪問していない。そして今回、考えてもいなかった白井さん宅の戸を開けた。奥さんを約10年前になくした白井さんは、しかし当時とあまり変わらず、私が自己紹介をする途中から、当時を思い出して、深々と頭を下げて「ああ、あの時の」と笑顔を浮かべてくれた▼「東京の息子のところに行くことにしたよ。都会には行きたくないんだが、濁川も人が居なくなってしまったし。足腰が元気なうちに…。今月いっぱいで店をたたむんだ」と言う。40年前と今と、たった2回の訪問が、出会いと別れだった▼テレながら恋人のノロケ話をした竹田氏。道内、東京、そして中国と駆け抜けた記者生活。そしてガンをわずらい、あっけなく他界した。病気見舞いにも葬儀にも行けなかったが、彼は私の人生の最高の友であった。40年の歳月の流れと、その間の思い出が浮かんだ。確実に過ぎ去ってゆく時間、そして人生。竹田氏が、私をここへ導いてくれたのだろうか。そんな気もした。