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デスク記事

2009/07/31

 ずいぶん結構な約束ごとが並んだものだ。国民にとっては「これなら助かる。生活にゆとりが出てくる」。そんなマニフェストが自民、民主両党を始め、各党から出てきた。ここで疑問がある。小泉改革は日本の経済・財政全体の前進のため、国民に我慢を強いるものでもあった。無理が通れば道理が引っ込むことを、国民はある程度理解した▼その後総理がクルクル替わり、内政がガタガタになって、そこに米国発の世界不況がやってきた。そのショックから未だ立ち直れず、世界も、日本経済も不安定な状況の、いわば戦後最大の日本経済危機の時期なのに、今回の衆院選用に出されたマニフェストは、かつて国民が享受したことのない、大盤振る舞いの夢色公約だ▼世界最大の借金国日本、百年に一度の世界恐慌の時に、なぜこれ程のマニフェストが出せるのか。もっと余裕のあった時代にもお目にかかれなかったマニフェスト。「信用していいのですか?」と問い直したい▼さらに気になることは、もし無理を承知で公約が実行されるとしたら、どの部分が引っ込んでゆくのか。それが国際的な信用、貢献に関わることに波及しないのかどうか。それらのヒズミが、近未来的に日本が落ち込んでゆく大きな要因にならないのかどうなのか▼どうも、選挙を勝ち抜くための「その場限り」のマニフェストのような気がしてならない。そうでない根拠が国民には見えてこないのも心配だ。国民の目にバラ色と映るマニフェストは、どこかに無理がある。もっと言えば、信用できないのである▼冷静になるべきは国民だ。目の先にニンジンをぶら下げられて、それに飛びつくことだけは避けたい。マニフェストが内包する矛盾と危険性を、私たちは感じ取らなければならない。