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デスク記事

2009/09/30

 全盛期は過ぎている≠ニ言われながら全盛期≠フ白鵬との優勝決定戦を制した朝青龍が、秋場所優勝を果たした。その気迫と集中力は全ての力士の上を行っている。その朝青龍に、何故か風当たりが強い。歴代3位の優勝回数を重ねても、大横綱とは認められていない▼その主たる原因は、自由奔放な振る舞いにあるようだ。初場所に続き、今場所も勝った後のガッツポーズが批判された。「横綱の品格がない」「敗者へのいたわりがない」など、手厳しい言葉が浴びせられる▼しかし、ガッツポーズが何故品格に欠けるのだろう。国技とは言え、相撲は勝ち負けを競うスポーツ。どのスポーツ種目も、勝って全身で喜びを表し、時には雄叫びをあげ、涙もする。それまでの厳しい鍛錬を経ての勝利に、身も心も自然に反応するのだ。見る方も、そこに感動する▼反対に、喜びをうちに秘め、無表情を装い、何もなかったように淡々と優勝賜杯を受けるのが品格なのだろうか。そして国技である大相撲は、そうしなければ下品で、忌み嫌われるものなのだろうか。人間の正直な心の動きが、勝利の瞬間に現れる事が、そんなに悪いこととは思われない▼朝青龍の全ての取り組みには、全身から沸き立つ激しい闘志が感じられる。ようやく勝ち越したり、途中休場する大関の不甲斐なさを見るにつけ、朝青龍の強い心と、一番一番にかける勝ちへの執念が際だっている。朝青龍を批判する前に、他の力士が一番見習うべき大切な要素であろう▼角界には「いじめ」「死」「大麻」など暗い部分も多い。また相撲が国際的な広がりを持つ時代、力士の個性も多様である。明るい、楽しめる大相撲であるためにも、多様性の中の品格とは何か、因習からの脱皮も必要であろう。