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デスク記事

2009/10/18

 枯れかけた庭のインゲンの葉が、不自然に丸まっていた。中に小さな虫が入っていて、すでに死んでいた。寒さから逃れるために葉を丸めたのだろうか。懸命になって葉を丸め、耐えていた小さな昆虫の姿を想像すると、一つの小さな命の終わりが哀れである▼あれほど恐れられたスズメバチや嫌われ者の毛虫も、今は力を失い、時々庭の片隅に横たわっている姿を目にする。どれ程多くの昆虫が、冬を前にこの地上で生命を失い、雪の下になるのだろう。それぞれの生命のサイクルの中で、生命の閉じ方もまた多様であろう▼鳥のエサになるもの、天敵に襲われるもの、人間に見つかってしまうものなど、命の終わり方は多様だろうが、我が家の庭で命を終える虫たちが、他に比べて幸運だったのかどうか、それは分からない。しかしこれも何らかの縁かも知れないと思い、そっと土をかぶせた▼詩人・中原中也の「一つのメルヘン」という詩がある。それは
 「小石だけの河原があり、そこに陽の光がサラサラと射している。その小石のひとつに蝶がとまり、淡い影を落としている。蝶が飛び立つと、今まで流れていなかった川底に、水がサラサラと流れている」
という内容の詩▼静寂だけの川に一羽の蝶が出現することで、光・音・水へと、まさに生命の連鎖を想像させる幻想的なドラマが展開する。中原中也の心象風景なのだろうが、殺風景なかわいた川が、一つの生命体により、潤いのある世界に変化して行く様子を表現している▼我が家の庭で生命を終える昆虫たちは、すでに次の生命にバトンを渡し、去ってゆくのだと思えば、その死がサラサラと流れる川にも思える。小さな生命の中にある大きな命のドラマなのだろう。