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デスク記事

2009/11/25

 私の友人の父親が、自ら命を絶った。夫についてゆくだけの人生を辿ってきた優しい母親は、夫の突然の死で一気に気力をなくし、日々、ただ遠くを見つめている。友は故郷を離れ、今は異境の地で生きている。この一家を突如襲った、不幸な出来事だった▼日本の自殺者は年間約3万人以上もいる。それぞれの悩み、苦しみの果てであろうが、過去と、これから先の人生を一気に否定してしまう行為は、周辺をも悲しみ、苦しみに巻き込んでゆく。一点を見つめず、越えてゆく、今ひとつの勇気が求められる▼作家の五木寛之氏は「ただ生きるという大切さ」という文章の中で、曹洞宗を開いた道元の「只管打座」=しかんたざ・ただひたすら座るという意味=の教えを例に取り、「人間が生きるということは、目的とか生きる意味とかに関係はなく、とにかくただ生きること。そうすればやがて何かが見えてくるのではないか」と言っている▼そして「その気づく≠ニいうことが、天啓のように高い所から降ってくるものではなく、自分の中に、ずっと以前からあったものに気づく≠ニいうことではないか。悟りとは、見えない真理を悟ることではなく、己を発見すること」と言っている▼平成9年までは、平均して2万人程だった自殺者が、平成11年から急に3万人を超え、それが現在まで続いている。無職の人が圧倒的に多く、しかも年齢層は50歳台から60歳台の男性が突出。原因は経済、健康の問題が主である▼世相を反映しているのは確かだ。しかし、生きるということはあくまで自己に帰すること。生命は、生まれた瞬間から死に向かっているのである。何があっても、したたかに生き抜き、己の中にすでに在るものを見つけようではないか。