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デスク記事

2009/12/25

 「香りも高い橘(たちばな)を、積んだお船が今帰る…」。かつて小学校の唱歌として歌われた。橘とは、ミカンのことである。歌の源は日本書紀までさかのぼり、天皇の命を受けた田道間守(たじまもり)という人が、9年の年月を費やしてミカンを発見。持ち帰ったという伝説だ▼三十数年前までは、ミカンと言えば木箱に入っているのが一般的だった。釘打ちしてある木箱のふたを開けると、ミカンの香りが部屋いっぱいに広がってきた。おやつなど、あまり豊富でなかった時代、暮れから正月にかけて食べることの出来るミカンは、心躍らされる果物だった▼故・畑中明氏が、正月に向けて木箱のミカン5百箱程を用意し、恵まれない家庭に毎年プレゼントしたのも思い出される。年を追うごとに、木箱が次第にダンボール箱に変わっていっても、木箱にこだわった畑中氏だった▼以前は、口にするまでミカンが甘いかどうか分からなかった。とても酸っぱいものや、見かけは悪くても甘いものだったり、当たり外れが多かった。甘いミカンに当たると、家族みんなが顔を見合わせて「甘いねえ」と笑顔になった記憶がある▼かつて、冬の間を「冬眠」と言う時代があった。流氷に覆われた海、音の消えた市街地、吹雪の時は、道が数日も開かなかった時もあった。テレビもなかったそんな時期、それでもミカンの箱を開ける時のトキメキと、みんなで食べる幸福感があった▼色彩の薄い冬、ミカンのオレンジ色は華やかであり、気持ちを高揚させた。当時−何はなくてもミカンがあればお正月−。そんな気持ちになっていた家庭も多かった。今年も残すところあと僅か。新旧の年の入れ替えを、ミカンを味わいつつ迎えようではありませんか。