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デスク記事

2010/01/13

 旭川の帰り、丸瀬布から金八トンネルを抜け、鴻之舞を通った。大雪のあと、石碑などほとんどが雪の下になっていたが、鴻之舞のシンボルである精錬所の高い煙突が、存在を主張するかのように天に向かっていた▼かつて約1万5千人が住み着き、東洋一の金山として黄金郷を誇った鴻之舞は、閉山後37年が経つ。しかし深い雪と静寂の中に在りながら、閉山後開催された札幌交響楽団によるグリーンコンサートの演奏の響き、人々の喝采(かっさい)が、周辺の風景に溶け込んで聞こえるようだ▼朽ち果てた住宅、軽便鉄道の跡、コンクリートの土台だけになった鉱業所の建物跡、学校跡など、心を集中させ耳を澄ませば、人々の生活の音、声、金産出のたくましいツチ音が聞こえてくる。鴻之舞は消えず、ただ眠っているのみ=Bそんな気がした▼かつてと言っても歴史的にはつい最近まで、東洋一の鴻之舞鉱業所は力強く稼働していた。しかもオホーツクに於ける輝かしい金山として、別世界のような鴻之舞文化を形成していた。大正5年に金の大露頭が発見されてから閉山まで60年近くの歴史は、朽ち果てることなく未来に続く▼鴻之舞は、紋別地域が他に誇るべき遺産である。しかも日本一であるだけでなく東洋一という規模。文字通りの輝かしい歴史の内には、太平洋戦争の物資確保のための無理な増産もあった。山が荒廃した原因でもある▼日本史に颯爽とデビューし、流れ星のように消えていった幻の黄金郷とも言えるだろう。しかし、鴻之舞文化は今に伝わり、これからも続く。それを過去の、ただ懐かしい存在にするには、あまりにもいたましい。スッとそびえる煙突のごとく、間違いなく紋別市の象徴である。この素晴らしき地を眠りから醒めさせたい。