デスク記事
自分の若い日々を振り返ると「何であんな無茶なことをしたのだろう」「大人げないことも随分した」と思うことは多々ある。年齢を重ね、たまに若い人に説教じみたことを言う機会もあるけれど、ふっと過ぎ去った時間を思えば、苦笑ものだ▼各地の成人式で、大声で騒いだり、行き過ぎた行動を起こしている事例が起きたようだ。壇上から市長など主催者が一喝したり、警察が出動する騒ぎになったケースもあったが、それら新成人の暴挙≠ヘ、それ程憂慮することなのだろうか▼水を掛けられた市長さんが彼を見て「忘れられない思い出が出来て、良かったね」と微笑んだ例もある。またある式典で卵をぶつけられた主催者が「この背広、買ったばかりなんだ。女房に怒られそう」とニッコリ笑顔を返したという。彼らへの素晴らしいプレゼントではないか▼「今まで無茶ばかりしていた。これを最後に明日からはしない」「ちょっと馬鹿やっちゃったかな。思い出にしたかったから」と言う新成人もいる。社会では通用しない弁明かも知れないが、言い換えればそんな程度である。大人への仲間入りする日に、血気はやって馬鹿≠やるのを、社会はもう少し余裕を持って見ても良いのではないだろうか▼「大人になれば社会への責任が生じる。そんな甘いことを…」と言われればその通りなのだが若さ≠フ片隅には、そんな意味もない行動の一つや二つは誰にも隠れていることではないだろうか。無感動、無表情より数段マシに思えるのだが…▼今の大人の社会。そう誉められたものでもない。自己が一歩退いて他を理解しようとする心が、今の社会には欠けていると感じる。他を批判するとき、我が身を省みるのも必要なことなのだ。