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俳優・森繁久彌さんが昨年11月に亡くなられたが、その俳優人生は懺悔(ざんげ)と自己の弱さに裏付けされるものだったようだ。「業(ごう)の深いのは男である。後悔のホゾを噛みながらも、喧噪の巷(ちまた)に出ると人間が浮ついて、その小さな傷口に塩を塗る馬鹿を繰り返す」と、自伝に書いている▼私が高校生の時、NHKのラジオ番組で「日曜名作座」が放送されていた。夜中の零時少し前の30分番組だった。加藤道子と二人だけの出演。声を変えながら登場人物を演じ分けていた。この時から森繁久彌のファンになっていた▼映画ではなくラジオだったから、尚更森繁の人となりが伝わってきた。受験勉強の合間のひととき、ノスタルジックな音楽と共に2人の声の演技が始まると、寒い冬も手に息を吹きかけながら、それでも引き込まれていった▼「日本のチャップリン」と言われているが、喜劇は悲劇の裏返し。彼の人生は壮絶なものだった。満州の新京で9人のソ連兵に銃を向けられ、死を覚悟したこと、ソ連や中国の軍人相手に、いかにして機嫌をとるか、彼らの求めに従って慰安婦の斡旋もした。女性は「私の身体で皆さんの命が守られるなら」と申し出たという。彼女たちと夜更けまで話し合いながら、幾度となく涙を流した▼「酒がなければとうに死んでいた。自分の弱さに耐えられず心も体も腐れ果てろ≠ニ祈った」という。初の映画出演をした35歳の時、ギャラで自身の墓を建てた。俳優としての覚悟をその中に込めた▼俳優としてより声優としての彼が好きである。姿なき声にこそ、その人間の歴史が表れるからだ。命のやりとりをしながら接した多くの人たち、その多様な人生を、彼は全身に受け止め、代わりを演じていたのではないだろうか。