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デスク記事

2010/02/25

 先月、「ことしこそ来るだろうな。みんな待ってるぞ」と、東京の友人からの誘い。本州一の早咲き桜「河津桜」を見に行こうというものだ。早くから予約しないと宿泊が出来ない。それ程日本中から観光客が集まって来るという▼毎年の誘いだが、一回も行ったことがない。彼は「年に一回くらい、桜を見ながら一杯やろうよ。お前はユトリがなさ過ぎる」と、親切に誘ってくれるけれど、残念ながらそんな気になれない。特に用事もないのに、静岡県の南伊豆まで桜見物のために出かける優雅な気持ちになれない▼「たまには自分だけのために時間を使えよ。もう歳なんだから、少しは友の言うことにも耳を傾けろ」と言う。しかし、そのたま≠ェ出来ないのだ。ノンビリと言う心境になりたいものだが、心の中では背を向ける自分がいる▼河津桜とは、昭和30年頃、地元の一個人が、冬枯れの雑草の中に芽を出していた桜の苗を見つけ、現在の場所に植えたものだ。それが今では見事な桜並木となって、2月上旬から1カ月近くもの間、楽しむことが出来る。特に、菜の花との色彩のコントラストが見事と言う▼河津桜が満開になる頃、オホーツク海は流氷に閉ざされる。流氷の状況も年によって異なるが、この地に住む人間として「冬こそオホーツク」だと心から思う。吹雪の日も、身体が凍える寒波の日も、だからこそオホーツクなのである▼白く、寒いこの時期。これこそ我が郷土の冬なのである。そう思うと、寒さを逃れて暖かい南伊豆に出かける気にはなれない。折角の冬。自分の住むこの地の空気感をじっくり味わいたい。地球で、流氷が来る最南端の海。早咲きの河津桜も珍しいが、流氷にはもっと壮大なドラマがあるではないか。