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日本もアメリカ並みの訴訟大国≠ノなってきたのか。そんな気持ちになる出来事が、各所で起きている。アメリカの知人が言う。「訴えられたら終わりだよ。たとえ理不尽な訴えでも、高額の金銭が取られるのを覚悟すべき」と言う▼道路に動物が飛び出して来て、避けようとして事故を起こしたケースで、被害者の身内が道路管理に問題があったとして、損害賠償の訴えをした。花火見物で、高架橋を多くの人が渡り、圧死したケースでも、警察署の責任者が「誘導ミス」で訴えられた▼それらの事件事故の際、常に背後に隠れてしまうのが「自己責任」ではないだろうか。この世の中は、一寸先が闇。何が起きるか分からない刹那の世である。自分の身に突然起きるかも知れない変化に、どう対処するか、心構えすることは大切なことだ。最大の防御は、自分に在るのだ▼貴方任せの安全、社会の仕組み任せの静穏。それにドップリ浸(つ)かってしまえる程、身の回りは完全ではない。人の安全を守るため、いくら巨額な社会資本を投入しても、それは富士山の山肌を、耳かきでなぞるようなものと言えよう▼アメリカの知人は、コツンと追突しただけで、経営している病院を売るハメになった。あっと言う間に億の金が消えるという。「だから、アメリカ市民はますます油断しなくなっているのです。『自己を守るのは自己』の精神が徹底しています」と話す▼しかし、寂しい話ではないか。この狭い日本に共生している1億2千万人。互いを認め、理解する心がなければ、人間個々が孤立して行く。そんな社会の土壌からは、慈悲の心も寛容の精神も育たない。先ずは自分の成すべき事を見つめ、他への理解を深めることが必要ではないだろうか。