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デスク記事

2010/03/07

 「白金(しろかね)も銀(くがね)も玉も何せむに 優(まさ)れる宝 子にしかめやも」
 万葉集に収められている、山上憶良の短歌である。
 金も銀も、宝物も、それが何だというのか。最もすぐれた宝は子供のほかにない。という意味である▼食事も与えられず、暴力さえ受けて、4歳児と5歳児が相次いで死亡した。痛ましい、悲しい出来事である。幼児虐待は後を絶たず、事件が起きるたび「もう2度とこのような悲劇が起きないように」と、人々は言う。それが空しく響く▼子供の悲鳴や、せっかんをする物音を、近所の人が聞いていた。児童相談所の職員が定期的に家を訪ねてもいた。それなのに見抜けなかった。また、子供が異様にやせているのも近所の人が見ていた。保育所を長い間休んでもいた▼客観的な状況が異常さ、幼児の生命の危機をを示していたのに、社会はなぜこの子たちを救えなかったのか。空腹からも暴力からも、この子たちは決して自分の力で逃れることは出来ない。守ってくれるはずの親から虐待を受けるとすれば、この子たちはどうすれえば良いのだ▼救うことが出来るのは、唯一社会≠ナある。そのために児童相談所があり、警察も、その他各種の関連機関がある。そしてなによりも近所がある。それなのに、いたいけな小さな命を守ることが出来なかった。それは何故なのか▼色々な機関や人々がいても、そして知っていながら最善の対応が出来なかったのは、そこに「心」がなかったからではないか。見抜けなかった≠ニの言葉で責任逃れは出来ない。見抜く努力、心の向け方が乏しかったからではないか。猛省すべきは大人社会だ。この小さな命を守ることが出来なくて、何が大人だ。