デスク記事
紋別駅から、涙をいっぱいためて手を振って去っていった友。見送る方も言葉がなかった。中学を卒業してすぐ、親元を離れて東京方面に就職する仲間たち。今では死語になっているが、当時は「集団就職」と呼ばれていた。日本が高度経済成長のスタートに立ったとき、企業はいくらでも働き手が欲しかった。東北、北海道を中心に、中卒生の集団就職は駅頭の見慣れた光景となっていた▼「金の卵」などというきれいな言葉とは裏腹に、労働条件があまりにも厳しく、脱落していった若い力も多かった。また農閑期など、東京などに出稼ぎに出る一家の主人も多かった。畑仕事の始まる春まで働いて、お金をためて帰ってくるのだ。しかし、慣れない過酷な労働。身体をこわしたり行方不明になった人も多かった▼集団就職列車は今から30年ほど前まで続いた。やがて高校進学率が高くなり、今度は高卒生が「金の卵」と言われるようになった。中卒、高卒、そして農家の人たち。日本の高度経済成長は、彼らなくしては達し得なかった▼テープで別れた友と、たまに東京で会う時がある。彼は言う。「家が貧乏だったから、進学が出来ず集団就職した。つらかったけれど、考えてみれば今の時代、高卒、いや大卒でさえも就職先がない。集団就職が出来た時代のほうが、まだ恵まれていたのだろうか」・と▼自分たちを必要とする企業がない。幸運にも内定した企業からは取り消し通知が来る。卒業と同時に、就職浪人の道が待っている。未来の展望どころか、今の身の置き場もないのである。戦後右肩上がりの成長を続けてきた日本。成熟社会の到来と共に、社会は人を求めなくなった。日本が成し得た経済成長の末が、人を否定することであってはならない。