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「海明け」。何と美しい言葉だろう。広辞苑をひくと、この言葉の意味が出ている。「接岸していた流氷が沖に去り、出漁が可能になること」とある。いつから広辞苑に出るようになったのだろう。そして、この言葉を思いついた人は誰なんだろう。オホーツク発の、この美しい言葉は、いわば詠(よ)み人知らず=B誰言うとなしに、自然に生まれた言葉のようだ▼底曳船が出漁の時期を迎えた。腹に響くエンジン音を残し、力強く出漁してゆく光景は壮快だ。海を持つマチの特権であろう。北海道経済が振るわなくても、市民生活が厳しくても、オホーツク海が海明けを迎え、底曳船に続き、ホタテ、毛ガニ、カレイ刺し網など沿岸漁が始まれば、それだけでエネルギーが生まれる▼昔から、不況の時でも「ナーニ、何とかなるさ」の言葉が巷(ちまた)に流れた。決して後退的な言葉ではなく、常に可能性を追い求める前向きな、明るい言葉だ。海は、それだけの魅力を秘めている。苦しくても次がある。そしてまた次がある。そう考えることが出来るのは幸せなことだ▼人間にとって何が不安かと言えば、それは歩みを止めて佇(たたず)んでしまった時ではないだろうか。どうすることも出来ず、前に進めなくなった時、最大のピンチが訪れるのではないだろうか。しかし今の時代、そんな状況は案外身近な所に在るのかも知れない▼だからこそ、人は未知のものに憧れる。未知の世界には、今まで経験したことのない何かがある。何かがある以上、成すべき手段が隠されている。それは可能性に繋がるのだ。海は、それを感じさせてくれる。特にオホーツク海にはそれがある。私たちは、実に恵まれた、天与の環境にいるのだ。