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国の借金を国債と言う。政府のマニフェストを実行しようとすれば、莫大な予算が必要。それを国債でまかなう。その国債の8割が日本郵政グループから得たもの。つまり国民の貯金等である。政府は郵政事業の見直し案を公表したが、個人の預入限度額を今までの1千万円から2千万円に、簡保は1千3百万円を2千5百万円に引き上げる▼平たく言えば、国が借金先として頼りになる日本郵政グループに国民の資金を集め、増大する国債のパイを広げる対策という面がある。郵政事業が「官」の衣をまとった巨大金融機関に変貌すると危惧しなければならない▼国(政府)はこれでいいかも知れないが、懸念材料は日本経済全体の停滞だ。特に日本の経済を支える中小・零細企業にとっては心配の輪が広がる。身近な信用金庫などに資金が集まらなければ、一般への融資も困難になりそうだ。地域との共生を掲げる地元金融も、その旗をいつまで掲げることが出来るのか▼国は地方分権を掲げ地域のことは地域で≠ニ言う。北海道も、地方分権こそ今後の生きる道と、その実施を模索する。しかし、今回の郵政事業の見直し案は、官業肥大化への象徴とも言える。まさに時代逆行ではないか。日本経済新聞が「政府出資という暗黙の政府保証は、民から官への資金移動を加速させかねない」と論評していが、頷(うな)づける▼今の日本に、百年、千年の計が果たしてあるのか。国民の目からは、選挙目当ての場当たり的な政治にしか見えない。長期経済政策もないばかりか、国家観がまるでない。相変わらず政党間、政党内、連立維持のための節操、倫理なき妥協があるだけだ。国政は選挙のためにあるのではない。品格ある豊かな日本のためにあるのだ。