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4月の声を聞くと、このオホーツクでも春の兆(きざし)が、肌で感じられる。冬こそオホーツク≠ニは言え、冬の厳しさに耐えてきた私たちにとって、春の訪れは、心に何かしら温かさをもたらしてくれる。とは言え、北の春は一気にはやって来ない。少し進んでは後退し、時には大きく後ずさりし、また光を投げかけてくる▼三寒四温とは良く言ったものだ。せっかく雪解け進んだと思うと、直後の大雪。毎年繰り返していることだけれど「もう雪は要らない」が挨拶言葉になる。それでも、積もった雪はまさに春の淡雪。すぐに消えてしまい、また一歩春に近づく▼そんな繰り返しは、実は人間の身体に次の季節に入る準備をさせているのだ。一気に春になってしまったら、寒さに耐えるよう身構えていた身体に大きな負担がかかる。季節の変化についてゆけるよう、寒さと温かさを交互に繰り返しながら、ユッタリと春を迎えさせてくれるのである▼自然は、時には過酷な状況を突きつけてくるが、同時に優しさも併せ持つ。その変化に対応してゆく知恵こそ、私たちに求められているものだろう。しかし、自然のサイクルを破壊して来たのも人間だ。その知恵の足りなさを、今我々は知らされている▼環境の浄化は人類の課題だ。しかし近未来のために知恵を出して環境を改善しようとするが、現実的には、残念ながら現在のことを優先せざるを得ない。未来を夢見るためには、歩く速度を遅くするか、あるいは別の道を探すしかない▼その間にも、環境の悪化は日々進む。ほのぼのとした春、暑いけれど元気いっぱいの夏、紅葉の美しさと、その次のモノトーンの世界。いつか、そんな四季の移り変わりを懐かしく思う時が、近未来に来るのだろうか。