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「魔が差す」という言葉がある。社会的な立場にある人が犯罪を起こした時に、よく使う言葉だ。辞書では「悪魔が入り込んだように、普段では考えられない悪念を起こす」とある。本当の自分はそんなことを起こすはずがないのに、気がついてみれば悪いことをしてしまった・そんな意味に取れる▼しかしこの言葉は、犯罪を犯した人が使うには適さない。魔≠ヘ誰もが、心の奥底深く持っているものではないだろうか。何かの拍子にそれが頭をもたげたとき、抑えるのが理性であろう。犯罪は、理性が魔に負けたときに起きるのである。だから、不祥事はあくまで自分の体内から発生した、自分そのものなのだ▼紋別市役所職員という、庶民の一番近くにいる公僕が、悪質な手法で公金を横領した。それも芸術文化に関する資金である。心の豊かさを求めて、質の高い芸術を楽しんでいた市民は、その裏で行われていた不正に大きな打撃を受けている。今後の芸術文化の振興にも、影響を与えるだろう▼間違いを起こさない人は居ないだろう。誰もが、その人生の過程で反省すべき瞬間はあるだろう。しかしその行為が犯罪かどうかの区別は、厳しく行わなければいけない。それが社会人としての戒律でもある。上司は彼のことを「明朗で、機動力のある職員だと理解していた」と語る。人は、他をそれ以上深くは見れないのだろう▼人間の誇りとは一体何か。それは個々個人の胸の中に在るものだが、それが意外に脆(もろ)く崩れ去るのも事実だ。刹那の欲望のために人生を棒に振り、周囲を不幸に陥れることを思えば、犯した結果に本人は呆然とするだろうが、それが自分自身だということを噛みしめるべきだ。人間の弱さはここにあるのかも知れない。