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デスク記事

2010/05/01

 「呆(ぼ)け症状の老人、あるいはアルツハイマーが加速する人、または植物人間のように、日々ベッドで眠り続ける人。それを見て貴方はどう感じますか」。その問いに対して様々な意見があるだろうが、多くは「ああはなりたくない」「生きていると言えるのだろうか?」「生命の尊厳が感じられない」などではないだろうか▼しかし私たちは、その姿に学ぶ必要があると思う。作家・五木寛之氏は「老いは荒涼とした惨めなものではない。人には往路と復路があって、老いは復路をたどって、最後の故郷へゆっくりと進んでゆくこと。そこでの論理は普通の世界とは違う次元のもの」と言っている▼健康に恵まれると、目の前にやりたいことは数多く現れてくる。お金に恵まれた人は豊かな生活を求めようとするだろう。それは極く自然なこと。しかし健康にもお金にも永遠≠ヘない。「時間」が全ての人に制限を与えるからだ▼その過程の中で、人々は一生かけて何かを失い続けてゆく。言い換えれば、身の回りのものを一つ一つ削ぎ落としながら人生を終えるのだろう。だから、自分の力では何も出来なくなった人には、欲望から解き放たれた安らかさがあり、粋(き)の生き方を教えてくれるのである。そう思って自分の顔を鏡に映せば、他に教える何物も持ち合わせていないことに気づくのである▼人は、生命を終えるその瞬間まで、かすかな命の灯に照らされながら、小さな小さな幸せを求め続ける。一滴の水に喜びを感じ、誰かの手の温もりに感謝する。しかしその小ささ≠ノこそ、果てしない豊かさへの旅があるのではないだろうか。