デスク記事
新幹線で東京から京都まで旅した。日本の大動脈の鉄道なのに、東海道を汽車で移動したことは、考えてみれば遠い幼年時代以来のことだった。それだけ、飛行機に頼っていると言うことなのだ。飛行機は直線。汽車は曲線を行く。私たちの日常は、何と時間に縛られていることか▼浜松を過ぎるあたりから、何か奇妙な思いに駆られるようになった。浜松を過ぎ、名古屋に近づく頃から、その奇妙な思いの正体が明らかになってきた。沿線の風景、鉄橋、駅の雰囲気…。それは幼年時代にここを通った≠ニいう記憶だった▼長い年月の中で建物は建て替えられ、風景も随分変わっているのに、それでも間違いなく、あの頃の何かが残っているのだ。幼い時、母の仕事の関係で幾度となく東海道線を移動した。その時に見た、あるいは感じた空気感≠ンたいなものが、遠い過去を今に蘇(よみがえ)らせた▼私が6歳の時、姉が7歳で、父は32歳で、相次いで死去した。父の入院費を賄(まかな)うため、母は懸命に働いた。姉と私の二人で母の帰りを待つ日々だった。時には1週間になる時もあった。留守中に姉が熱を出し、それでも私に本を読み聞かせ、病院にかかった時は手遅れだった▼姉の死で、私一人に留守番させることも出来ず、母は私を連れて仕事に向かうことになった。その時、東海道線を行き来したのだ。姉の死は父の気力を奪い、やがて父も命を終えた▼時は過ぎ、何もかも変ってしまったけれど、変わったのはあるいは表面的なものだけなのかも知れない。東海道線の鉄路は、私を過去に戻し、過去から現在に連れてきてくれる。過ぎ去った日々が、決して消滅してしまったものでなく、そこに残っていることを教えてくれた。父と姉の記憶と共に。