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「北海道」という地名。本州の人たちにとっては特別の響きがあるようだ。「寒いところ」「空気がきれい」「梅雨がない」「広大、観光地」など共通したイメージを話してくれる。国内でも景気の悪さではトップクラスだが、決して暗いイメージを持たれていない▼では外国人ならどうだろう。日本に興味があり、または日本を良く知る人たちは「日本」と「北海道」を使い分けている。つまり、北海道を日本というワンフレーズで語らず、「北海道」を別扱いにしているようだ▼何故だろう。本州と津軽海峡を経ているだけの理由ではない。多くの日本人と同じように、気候も産業も、あるいは地理的な条件など、本州と全く異なっている面も理由の一つだが、それよりも一番の訳は「北海道の可能性」ではないだろうか▼それは「未知」ということにも繋(つな)がり、未知は可能性と連動する。土地は広いし、第1級の水産資源が豊富。原始林を含め森林も多く、緑の大地であること。そして人間に不可欠な「水」の資源が豊かで、食糧自給率は200パーセントを越える事など、今後人類が危機的状況に陥る心配要素が、北海道はゼロ。それらを総合して「北海道はこれから」という意識が、日本のみならず海外にも広がっているのだろう▼本州は梅雨に入った。東京などに行けば「いいですねえ、北海道は梅雨がなくて。これに悩まされている私たちにとっては、本当に羨(うらや)ましい。出来れば1週間ほど旅行をしたいけれど、そんな贅沢は許されないし」と言う▼自分のことは分からないものだ。恵まれていることが日常化すると、良い面を忘れて悪い面ばかりが気になる。少なくとも、北海道、オホーツクには、まだまだ多くの可能性があるのだ。