デスク記事
人はそれぞれ、失敗、時には罪を犯しながら、それを教訓として次のステップを踏み、成長してゆく。しかし人間は時として、自己を省みることなく他を責め立て、その時は、あたかも自分が聖人君子になったような言動をとる▼日本の国技である大相撲が野球賭博問題で揺れている。暴力団との関連も合わせて、徹底した調査、処分が必要だろう。NHKが名古屋場所を中継すべきかどうか、視聴者への調査では中継反対が圧倒的に多かった。事件を完全に解明し、スッキリさせ再出発することが最優先という意見である▼しかしここで考えたい。完全な解明≠ニは何を以(もっ)て完全と言うのだろうか。角界という階級社会の中で、知らず手を染めた力士もいるだろう。何が悪質で、許されるべきは何か、峻別(しゅんべつ)する必要があるはずだ▼また仲間内で行う花札などの行為が、「相撲界であってはならない」ものなのかどうか。機械のように24時間、相撲だけに集中しなければ土俵に上がる資格がないのだろうか。人々が求めるスッキリ感とは何なのか。賭け事が角界に吹く風なら、その風に、知らずにあたった者まで処分しようと言うのだろうか▼どこかで線を引く必要があるだろう。「土俵は神の宿る所」という観念は良しとしても、それを百パーセント人間に求めることは如何なものか。線引きの外に居る力士で、国技にふさわしい懸命の相撲を見せて貰いたい。その姿を中継するのもNHKの役目であろう。NHKも、自らのことを胸に手を当てて考えてもらいたい。国の予算を貰いながら、過去幾度の不祥事を犯してきた事か。しかしそれでも人々は許し合い、明日への一歩を刻むのだ。それが豊かな社会と言うのではないだろうか。