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人間にとって、最も楽しみなのは何か。それは「食」にあると思う。旅行をしても、どんな名所旧跡に行っても、出される食事ほど魅力的なものはない。生命体を維持するため、そして味を楽しむため、食はすべてに関わって人生を豊かにしてくれる▼温暖化で野菜が育たず高騰している。反面規格に達しなく、売り物にならないというキャベツ、白菜、レタスなどなど。しかし外観は悪くても、中身は充分食用に耐えられる。それが畑に放置されたままの情景を見ると、何といたましいことかと思う▼それでも日常の私たちは、味に注文をつけ、お腹がふくらむまで食べ、中には激しく好き嫌いをする。会合などで経験することだが、料理が多く残り、それらは破棄されてゆく。「食」の危機が叫ばれるけれど、まだまだ日本は深刻な状況にはなっていないようだ▼食文化の向上は、味や食材にこだわるから可能なのであって、食が芸術の領域に入ってくるのも人類の立派な進歩である。だからこそ私たちは食材に感謝し、それを最大限に活かさなければならないと考える▼数年前、扁桃腺炎をこじらせて4日間何も食べられなかったことがある。病院で最初に出された重湯と、少量の白身魚。しかし、我が人生でこれほど美味で、力が沸いてきて、有り難かった食事はない。その時「これから一生、食事は一汁一菜で充分」と思った▼退院してしばらくすると、そんな事はすぐに忘れ、より美味なるものを求め、時には家の食卓にも注文をつけるようになっていた。そんな時、あの小さな白身魚を思い出すことにしている。目の前の食材への感謝、食べられる喜び、そして人間の傲慢(ごうまん)さを。畑で朽ちてゆく野菜の悲しみを、私たちは知るべきでないだろうか。