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韓国の東南に位置する晋州市に、私の知人で姜(かん)さんという方がいる。学校法人の理事長を務めている人望の篤い方で、現在83歳になる。彼が小学生の時、韓国はすでに日本に併合されており、学校では日本語を使わされ、名前も日本式に変えさせられた▼朝鮮語を使うと体罰が待っていた時代、彼はある日学友とけんかをした時思わず朝鮮語を使ってしまい、放課後教室に残された。その時、赴任してきたばかりの鈴木と言う先生は「朝鮮語を使わないという規則は守らなければならない。しかし君の国の言葉である朝鮮語は決して忘れないように」と、体罰もなく優しく言ったという▼太平洋戦争が終わり韓国は独立し、その時鈴木先生は「韓国のため立派な人になってくれ。縁があればまた会おう」と言って日本に帰った。それから約30年後、姜さんは日本にいる鈴木先生に手紙を書いた。先生から「姜君、生きていたね、ああ良かった」の返事が来た。それから数年が経ち姜さんは鈴木先生に会うために日本に来て、ホテルから鈴木先生の自宅に電話をかけた▼電話口で鈴木先生の奥様が「夫は貴方が来るのを、カレンダーに印をつけながら待っていました」と涙声で、鈴木先生が最近亡くなったことを告げた。姜さんは翌日鈴木先生の家を訪ね、仏壇の前で再会≠オた▼私は韓国に行く時、いつも姜さんにお会いし、互いの国のことを語り合う。日韓の懸案事項の竹島(韓国で独島)についても、姜さんは「昔は帆掛け船で行き来したものだ。互いに行ったり来たりして手を振り合えば良いのに。主張し合う中からは、何も生まれない」と言っている。今月29日で日韓併合から100年を迎える。日本は侵略を反省しつつ、未来志向≠ヨの努力をしなければならない。