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デスク記事

2010/09/18

 故事に「百里を行く者は九十を半ばとす」・というのがある。何事も終わり少しのところが大切≠ニいう意味だ。有終の美を飾るには、最後のひと頑張りが必要だが、最後まで突っ走るのが良いのかどうか、冷静な判断を巡らす大切さを説いている▼紋別市職員の公金横領問題に関連して、市議会最終日で「市の調査では不十分」と、市議会が強い調査権を持つ「百条委員会」が設置された。横領事犯は、市民のボランティア団体にも影響を及ぼす大きな波紋を広げ、市民間にも「スッキリした解明を」の声が強い。それを受けての百条委員会。これは関係者の出頭、証言、記録の提出を求めることが出来る強い権限が与えられ、これに反した時は禁固刑を含む罰則が定められており、国会の国政調査権に相当する▼同委員会の設置は全会一致で決まったが、今後の論議の中心になるのが「紋別市側の内部調査は甘い。職員の不祥事に対し、市役所内に日常的に表沙汰にしたくない≠ニいう隠蔽(いんぺい)体質があるのではないか。今後のためにも真相究明を=vということである▼市役所では八年前まで遡(さかのぼ)り、同僚や上司の話を聞くなり内部調査を行い、一定の結論を出した。また再三に渡る市議会の一般質問、議会内での論議が成され、そして今回の「百条委員会」が設置された。この段階でこの問題が百里の道≠フ最終局面に入ったことを意味する▼隠蔽体質≠ニ、言葉で表現するのは簡単だが、人は誰にも「穏便に済まそう」という意識が働く。鋭利な刃物のように、他を追求することに躊躇するものだ。隠蔽という言葉は画策≠ニいう言葉にもつながる。そんな計算があったのかどうか。ただすべきものは何で、理解すべきものは何か。賢明な論議を期待したい。