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「罪を憎んで人を憎まず」。人が罪を犯すのは、そこに何か因果関係があり、そのことに思いを寄せよ・という、優しさにあふれた思想だ。しかし「罪を作って人を陥(おとしい)れる」ということがまかり通れば、こんな恐ろしいことはない。しかもそれが国家権力で行われるとしたら、国民誰もが突如犯罪者になってしまう▼大阪地検特捜部の捜査資料改ざん事件は、そんな恐怖国家の内容を含んでいる。今回、内部からの告発がなければ罪なき者が罪に陥れられ、陥れた検察が陰で笑うという、暗黒の筋書きが出来あがってしまうところだった▼郵便不正事件で、無実なのに逮捕され163日間も拘置され、厳しい取り調べを受けた元厚生省児童家庭局長の村木厚子さん。その手記「私は泣かない、屈さない」で、幾重にも張り巡らされた、検察の取り調べの罠(わな)のことが語られている。自分の意志と異なった調書。それを指摘しても嘘をつく被疑者≠ニされてしまう。検察の作文で、人格の異なる自分にされた▼村木さんは、その強い意志と優れた思考で大阪地検の厚く、ゆがんだ壁に立ち向かった。誰もが出来ることではない。村木さんだから出来たことだ。国家権力を持つ組織がそれを不正に行使するとき、一民間人が抵抗するには限界がある。村木さんの優れた人格と冷静さあればこそだ▼今、ただすべきは検察の体質である。検察に染みついた罪つくり体質は容易には治らない。突然降って湧いたような逮捕、一方的な調書、ゆがんだ証拠作りは今後も起こりうる。罪なき人が罪に泣き、一生を台無しにする。それは今までの冤罪(えんざい)事件が物語る。人は誰でも、品格ある生涯を送ろうとしている。それを支えるのが検察の本来の仕事のはずだ。