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以前から行ってみたいと思っていた、岩手県の花巻市にある宮沢賢治記念館。そこに行けば本物の文学に出会えるのではないか≠ニいう予感が、随分以前からあったからだ。ここ数年の直木賞や芥川賞作品を読んでも、残念ながら心に残るものがなく、何故受賞したのか理解できなかった▼小高い森の中に、その記念館はあった。周囲を杉の木など深い森に囲まれ、決して大きくない建物。一歩中に入った瞬間、空気が変わった。宮沢賢治が生きた明治後期から昭和初期まで、その短い37年間の生涯は、東北地方を貧困と天災が襲った時期だった▼一時花巻農学校の教師(4年間)だったが退職し、土と共に生き、この世の森羅万象(しんらばんしょう)を見つめながら詩や文章を、猛烈な速度で書き続けた。展示資料の中に、岩手軽便鉄道の写真があった。夕暮れの鉄橋を走る黒い列車。その背景には星くずの銀河。空に向かって走っているような光景は、まさに代表作「銀河鉄道の夜」のイメージそのものだ。故郷のことを「イーハトーヴ」と名づけ、草も石も、大地も人間も、その4次元の宇宙空間の存在と位置づけた▼炊事をする時間も惜しく、3日分の米をたき、それに塩をかけて済ましたという。最愛の妹が24歳で死去し、自分もまた死期の近いことを感じていた。粗末な紙に綴(つづ)られた文章は、宮沢賢治の作品と言うより、大地から湧きたつエネルギーと、壮大な宇宙の光波が結集したものだった▼手帳に記された「雨にも負けず」は、没後に発見されたもの。「人は他のために生きたいもの。それが出来る健康体でありたい」というのは、若くして逝った彼の願望だった。命を削りながら、大地にしっかり根を張った文章が、そこに在った。