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子供達の命より、教師、教育委員会の保身が優先した。群馬県桐生市の小学6年生の女の子を自殺に追いやったものは、児童達のいじめよりも、学校、教育委員会ぐるみの“犯罪”とも言えるものだ▼給食の時も、行事の時も、女の子はいつもひとりぽっちだった。心を傷つける言葉を言われ、願い事は「学校が消える」ことだった。でもノートには“友達っていいな”という漫画を描いていた。友達が出来ること、いじめがなくなることを夢見ていた▼欠席後、校外学習に参加した。「どうしてこんな時だけ来るんだ」と言われ、気力が消えた。女の子は、一人で自分とも戦ってきた。しかしクラスで一人の味方もなく、担当教師も見て見ぬふり。追いつめられ、自宅で首をつった▼あまりにも痛ましく、切ない出来事だ。女の子には「もう一度生き返ってほしい。本当の世の中は、そんなに冷たい所でなんだ」と伝えてあげたい。淋しく、傷つき、耐えきれなく死を選んだ女の子に、関係者は何とお詫びすれば良いのか▼校長は、始めは「いじめはなかった」と言い、その後「いじめはあった」と認めた。しかし自殺との因果関係は認めていない。大人のずるさを感じる。自校の子供が死を選択せざるを得なかった現実を、何と“冷静”に受け止め、自己保身に徹していることか▼「学級崩壊」状態だったという。それ以前に、教育委員会の無責任さと、職員室崩壊があった。少女の自殺の原因の根っこは、教育関係者にあったのだ。彼等はその責任の重さを何と心得ているのか▼行政も、学校も、この女の子を守れなかった。残念なのは、それでも女の子を学校に通わせたことだ。学校は、安全でなければ行かなくても良いのである。学校が消える前に、小さな命が消えてしまった。