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昨年秋、岩手県を旅した。その際、金色堂で有名な中尊寺を訪ねた。歴史の教科書に必ず載る金色堂だが、これまで見たことがなく、いつかは見たいと思っていた。また藤原三代が栄華を極めた地であり、悲劇の武将源義経の最後の地でもある▼義経は兄・頼朝に追われ、たどり着いたのが藤原家。頭首・藤原清衡は我が身を賭しても義経を守ることをに徹し、義経は静穏な日々を送る。しかし頼朝の執拗な追跡により、弁慶などと共に衣川で戦ったあとここで自害した。義経をかくまった藤原家もまた、その華麗な歴史に幕が引かれた▼源平合戦の後、義経の愛妾で舞の名手・静御前は頼朝に捕らえられ、鶴岡八幡宮で踊らされる。その際
−吉野山、峰の白雪踏み分けて、入りにし人の跡ぞ恋しき−
と、頼朝の怒りを承知で義経への激しい恋心を歌う。静御前はその後四国で死去したと伝えられているが、義経を追って北海道にまで来たという逸話もある▼義経が暮らした高堂の場所に立ってみた。そこからは北上川や肥沃な大地が見事な景観として目に飛び込んでくる。義経は、この平和な地で何を思っていたのか。そしてもしかしたら、静御前も平泉を目指してここへ来たのかもしれない。そんな身びいきな空想にふけってしまう▼時を経て、松尾芭蕉がこの地を訪れて│五月雨の、降り残してや光リ堂│と詠(よ)み、盛衰の黄金の歴史に思いを馳せている。中尊寺の坂道に、真っ赤な曼珠沙華(まんじゅしゃげ)がいっぱい咲いていた。そこで私も一句
−紅涙を、今に伝える曼珠沙華。