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デスク記事

2008/08/21

 日頃当たり前のように使っている携帯電話。東京に出かけた時、うっかりして持って行くのを忘れ、改めて携帯電話に頼っている日常を思い知らされた▼お盆明けの18日、紋別空港が満席だったため女満別空港から出発。この時会社への用事を思い出し、携帯電話を持ってきていないことに気づいた。待合室に公衆電話が一台。これが使用中で、しかも長電話。搭乗時間となり、諦(あきら)めた▼羽田空港内。公衆電話はすぐには見つからない。この便しか空席がなかったので、到着時間は会合の始まる時間。そのままタクシーを飛ばしてようやく会場に駆けつけた。係の人は、私の携帯電話や会社に電話をかけたりで右往左往。持っていれば、会合に遅れることを連絡できたが、それも出来なかった▼会合場所の事務局の電話を使わせてもらうことも何故か気が引ける。まして、他の人の携帯電話を借りることは、ある意味失礼だ。などなどで、2日間会社とも家族とも連絡なしで過ごし、帰ってみると、着信履歴にズラリと記録が並んでいた▼今回まず感じたことは、公衆電話が公共の場所からかなり少なくなっていること。そして今の時代、携帯電話は社会のリズムの中に在り、大事なことが即、相手に伝わることが前提になっていると言うこと。そのサイクルから外れると、自分だけでなく、相手のリズムも乱すことになる▼出発の前日充電し、忘れないようにと鞄に入れて準備万全だったが、たまたまかかってきた電話で、終わった後机に置いたままだったことを忘れていた。その上に紙が一枚かかっていたのも不運だった。今や世界のほとんどの地域と瞬時に会話できる文明の利器も、「忘れる」という人間らしさ?の同一線上にある。