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デスク記事

2008/08/22

 元・道立紋別病院の熊谷院長は「患者の生死は医師の手中にある」と発言し、新聞などに「思い上がった高圧的な態度」と掲載され、物議をかもした。後に熊谷氏はこう語っていた。「いったん患者を受け入れ、病気と向き合ったら、医師は患者の生か死かの重い責任を負っていると言う気持ちで語った」と▼外科医の彼だが、夜中に幼児を持つ母親から電話があっても、多くの場合「どうぞ来て下さい。それとも私が伺いますか」と優しく対応した。「病気は時間を選びませんから」と笑顔で応えていた▼福島県立医大病院で帝王切開を受けた女性が死亡した事件で、福島地裁が被告の医師を無罪とした。事件の内容は新聞記事でしか知り得ないので、判決に対して云々することは出来ないが、医師と患者の関係を改めて考えさせられる▼患者は誰もが神の手≠求める。しかし、幸運に神の手にめぐり会えたとしても、人間である以上、その神の手が過ちを犯すこともある。地域によっては、平等な医療を受けられない患者も多く、都会の真ん中にいても、何かの都合で受け入れられない患者もいる▼それは個々が、人生で与えられた環境なのである。医師は全国に約30万人いる。個々の医師に技術の差は確かにあるだろう。しかし、どの医師にめぐり会おうと、それは出会い以外の何物でもない。医師と患者の間に納得出来る話し合いがあれば、患者は医師を信頼して生死をゆだね、結果を受け入れるのである▼物事に万全はない。しかし医師と患者が病気に対して真剣に立ち向かう限り、双方は結果に対して納得できるだろう。人生には多くのリスクが伴う。それは結果のみに表れるのではなく、全ての事象がすでに内包していることを知るべきだ。