デスク記事
渚滑町に住む知人が地方の病院に入院している。見舞いに行ってしばらく話を交わしたが、彼は「日頃、渚滑町に住んでいることが当たり前になっていて、地元の有難さなどあまり考えなかったけれど、長期入院すると、渚滑の風景や空気がとても懐かしい。思い出すだけでも涙が出ます」と話していた▼とりわけ、人と人の関わりがいかに素晴らしいものであるか、途絶えてみて初めて分かった。「一時帰宅が許されて帰った時もありましたが、多くの人に声をかけて戴き、病状を心配して下さって、有難さに心が震えました」と語る。故郷・渚滑の景色と空気感、それに温かい友人たちの言葉や表情を思い出すことが、長い間の入院生活の励みになっていると言う▼作家・五木寛之氏はこう言う。「地上の人間全体が弱き者であることを、しっかり認識する必要がある。19世紀、20世紀の人間は傲慢(ごうまん)になり過ぎていたが、人間というのは非常に弱い、他の草や木と同じ存在。謙虚な気持ちに戻り、自分も他人も大切にし、日々を大事に生きようとする自覚が大切」と▼入院している彼は、病気になり、自分が弱い立場になって、普通に過ごしていた日常がいかに光り輝くものだったか知った。関わりのある多くの人はもとより、風景や空気、そして庭の草にまで思いを寄せている▼誰もが、いつ弱い立場になるか、それが一瞬先なのかも予知する事はできない。強い時は弱さを知る知恵を持たない。でも、それが人間の自然体なのだろう。強い時は一瞬なのだから、それを味わうのも、天から与えられたせめてもの情けか。