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デスク記事

2011/02/06

 世の中、何事も「正義」だけでは済ませられないものがある。環境も立場もそれぞれ異なる生身の人間が、一つの真理のみを求めて完璧な生き方をすれば、世の中は本当に窮屈なものになるだろう。個人のみならず、企業、団体等が完全清潔≠ノ徹しようとすれば、それは正しい事なのだが、どこかにヒズミが現れる▼国技である大相撲で、以前から疑われていた八百長相撲が発覚した。これは厳しく追及されるべきものだが、この事件を即大相撲の存廃につなげる事は避けたい。他の競技と趣(おもむき)を異にすることは理解できるが、あまりに神聖化することは如何なものか▼今までも、力士同士の取引がなくても、すでに勝ち越している力士が、相手力士に力を抜く取り組みはあった。同じ位置に居る力士同士、負ければ間違いなく落ちてゆく相手の状況は、いつかは自分が直面する姿。心が動くのも生身の人間だから。ファンは暗黙のうちに認めていた▼美しさも醜悪さも、社会には混在している。今回の事件は、記録に残る携帯電話での生々しいやり取りが、看過(かんか)できない要因になっている。そんな文明の利器がない時代は、力士同士の心の波長から起きていた事件だ▼協会は反省し、出直して欲しい。この問題を国会で聖なる相撲なのに≠ニ厳しく追及する議員達よ、神聖な議事堂で恥なき政治活動をしていると言えるのか。相手の非を追及する時、いつも忘れるのは我が身の事。多くは真面目な力士である。清濁併せ飲み、次の改革につなげる寛容さも、この際あっても良いのではないか。