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デスク記事

2011/02/13

 およそ50年前、美術愛好家の田中峰雲さんという方が「冬の紋別を楽しく、元気に過ごそう」と、流氷まつりの開催を思い立ち、実行した。会場は今の海上保安部あたり。雪や氷を使って飛行機などの氷像を作った。新鮮なアイディアだった▼当時は流氷のことを「白魔」と呼んでいた。流氷がびっしり押し寄せ、今では考えられないほど長期間接岸し、春になっても漁船は出漁が遅れた。流氷期を「冬眠」とも言っていたし、マチの動きも止まっていた時代だった▼そんな時の「流氷まつり」は、市民にとっては驚きであり、同時に新鮮な響きをもって受け止められた。「そうだ、縮(ちぢこ)もってばかりいないで、冬こそマチに活気を呼び戻し、明るい紋別にしよう」と、以降の流氷まつりは年々規模が大きくなり、道内でも有数のイベントとなった▼流氷まつり会場に行ってみた。そして例年とは少し違った雰囲気を感じた。ひと言で言って、みんな楽しんでいるのである。会場に華やかさがあり、笑顔に満ちていた。特に子供たちが充分に楽しんでいる。スベリ台や迷路で歓声をあげながら、走り回っている▼旅行者もまた、紋別の冬を堪能しているように感じた。手をつなぎ合う恋人も、旅行者も、ユッタリと会場をまわり、自分の時間を過ごしていた。車いすのおばあさんが、家族に押してもらいながら氷像をひとつひとつ回り、時には手で触れていた。「上手に作っているねえ。寒くなんかないよ」と嬉しそうだった。屋台の人たちも、笑顔で声をかけながら雰囲気を盛り上げていた。温かい流氷まつりだ。