←前へ ↑一覧へ 次へ→

デスク記事

2011/02/16

 先日、歌手の岩崎宏美が東欧のチェコでリサイタルを開いた様子が、テレビで放送されていた。チェコが産んだ19世紀の後半の作曲家にドボルザークが居る。その記念音楽堂で、岩崎宏美は大勢の聴衆から喝采を浴びた▼リサイタルを終え、会場から出てくる人たちが感想を語った。最後にインタビューを受けたご婦人は、50歳代以上の方なら誰もが知っているだろう、その人。45年前の東京オリンピックの女子体操競技で、金メダルを総なめしたベラ・チャスラフスカだった。彼女は「私は東京オリンピックで、チェコと日本の友好の橋渡しをしました。岩崎宏美さんは今、歌で両国の友情の橋渡しをしている」と笑顔で語った▼私は、チャスラフスカに特別な思い出がある。オリンピックの一年前の「プレ・オリンピック」が東京の代々木体育館で開催され、私は連絡係のボランティアに応募し、偶然に、チャスラフスカの荷物を持つ役目を務めた。体操の実力は勿論、気品のある、知性豊かな人だった▼時を経て、テレビに映る彼女に、当時の面影はなかった。東京五輪の4年後の8月。ソ連(当時)の主導でワルシャワ条約機構の軍隊がチェコの首都プラハに侵入。チャスラフスカはソ連大使館でプラカードを掲げ抗議した。「人生の中で勇気を示さなければならない時がある。子供たちのために、私は今戦う」と。彼女は公職から追放され極貧の生活を強いられた▼時を経て、その彼女が音楽会に来ていた。あの輝くような美しさは消えていたが、毅然と生きる凛とした美しさがあった。その表情に時の流れと人生を宿しながら。