デスク記事
市内で「ダルマさんが転んだ」という、昔懐かしい遊びをしている子供達を見た。鬼≠ェ目をつぶり、この言葉を大きな声で言い、その1秒ほどの短い時間に他の子供は出来るだけ鬼に近づき、鬼が振り向く前に動きを止める。誰かが動いていれば、その人は列から外される。最後に鬼にタッチ出来れば、鬼の負けとなる▼今はあまり見ることが出来なくなった情景だ。子供達の遊びは時代を反映させる。子供の声がマチ角から消えて久しい。子供の数が少なくなったこともあるが、テレビゲームなどで一人の時間を過ごし、または「習いもの」などで忙しい▼子供の遊びにお金をかける事が出来なかった時代、子供達は遊び方を工夫した。楽しむためには多くの遊び友達が必要で、遊び場は当然のこと戸外になった。走り回り、声を出し、汗だくになり、多人数のため無意識に他と調和をとっていた▼時代が経過し、やがて誰と話ししなくても一人でも楽しめる環境になった。中には自分の部屋を持ち、食事時間以外には親との会話もなく、部屋に閉じこもることが出来るようになった。それに慣れ、そのうち他と交わったり、話することが面倒になり、孤独な状態が心の安定を得る手段となった▼しかし、それは今の子供達が本当に望んでいることなのだろうか。子供達に紙芝居や、手つなぎ鬼、ダルマさんが転んだ、コマまわし、後ろの正面などを教えると、瞳を輝かし、汗だくになって飛び回る。子供の本能が蘇(よみがえ)ったように、全身で喜ぶ。「不足」こそ、子供の成長に大切な要素なのではないだろうか。