デスク記事
詩人・室生犀星(むろおさいせい)は「五月」という作品で
悲しめるもののために みどりかがやく
くるしみ生きむとする もののために
ああ みどり輝く
とうたっている▼3月11日、日本人が永遠に忘れない東日本大震災。その時はまだ雪が舞う寒い時期だった。しかし被災地の今は、惨状は何も変わっていないが、桜は今が盛りと咲き競い、柔らかな風が吹いている。本来なら、多くの人が爽やかな春を満喫しているが、今は瓦礫と化した現地から住民は消えた。しかしこぼれるような満開の桜は、時間の確実な経過を告げ、明日へ向かう背中を優しく押してくれている▼死者、被災者の数の多さに驚愕する。しかし数の多さが悲劇の度合いを決めるものではない。死者、被災者一人一人の計り知れない無念さ、悲しさこそ、個々それぞれにとって悲劇なのである。私たちがこの大震災で心すべきことは、その目を個々に向ける事ではないだろうか。個々を知ることは出来なくても、そこに心を向けることが、人としての礼節のような気がする▼元キャンディーズの田中好子さんが死去した。命の召される2週間前、声を録音している。その中で被災された方に「私も病気と闘ってきましたけれど、負けてしまうかも知れません。その時は天国でお役にたちたい。それが私の役目です」と苦しい息の中、語りかけている。崇高なお人柄だと思う▼日々は生命感あふれる緑≠ノ向かっている。悲しみ、苦しみ生きようとする人のために、季節は優しく包み込む。